万葉とゆかりの神社
万葉集にゆかりが有る神社を調べて見ました。
はじめに
■氷見および近郊で、万葉集にゆかりが有る神社を調べて見ました。
- 既に奈良時代以前に創立され、大伴家持が参拝したと思われる神社。
- 大伴家持が設立・勧請(お札をもらった。)したと思われる神社。
- 大伴家持の前任者・郡司・随行者・関係者にゆかりが有る神社。
- その他、万葉集(地名・その他)にゆかりが有ると思われる神社。
■これらは、私の独断・偏見で選んでいます。(順不同)
祭神の読み方が分からない場合は、該当部分をクリックして下さい。
なお、文献も参考
にしていますが、このページを当てにしないで下さい。
特に地籍(番地)はデタラメです。
氷見の郊外では、昔から神社には習慣上、地籍が有りません。
社務所が無い場合には、責任役員・神社総代などの住所を当てがっています。
従って、代表者が変わった場合には、放置されたままのようです。
今、氷見では地籍調査が進められていますが、今後は地籍が採番されるようです。
■
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氷見市(35座)
| 氷見市内の神社数 | :175座(昭和58年)
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| ・神社本庁に所属の神社 | :168座
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| ・所属しない神社 | :7座
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宇波神社
| 鎮座 | 宇波 4904番地
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| 祭神 |
譽田別命・
気長足姫命・
比売大神
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| 社格 | 指定村社
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| 由緒 |
宇波の産土神にして、宇波の地名は万葉集・和名抄などに見る。
古くは八幡宮と称して崇敬され、境内地は古墳である。
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垂姫(たるひめ)神社
| 鎮座 | 薮田 299番地
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| 祭神 |
息長帯比売命・
譽田別命・
比盗_・
伊邪那伎命・
伊邪那美命・
菊理比盗_・
倉稲魂命
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| 社格 | 指定村社
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| 由緒 |
往古の垂姫神社八幡宮は、海岸の通称、八幡なる地に有ったが、
その社地は凡そ130間余りも海中に突出する風光明媚な地で有った。
然るに有磯海の荒波に何時しか社地も次第に崩れて、今、僅かに岸涯を留めるのみ。
かくて寛永年中、現在の産神社の白山社に転座奉祀となる。
後、天保15年10月、垂姫神社の復称宣旨、神宣状を賜わる。
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榊葉乎布(おふの)神社
箭代(やしろ)神社
| 鎮座 | 北八代 787番地
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| 祭神 |
葛城襲津彦命・
火皇産霊神・
菅原道真
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| 社格 | 無所属・県社
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| 由緒 |
延喜式内社にて越中国三十四座の一にあり八代庄三十三ヶ村の総社にて
郷内最首という。
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八幡宮
| 鎮座 | 吉懸 67番地
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| 祭神 |
応神天皇・
神功皇后・比売神
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| 社格 | 村社
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| 由緒 |
阿努君広嶋が縁の社にして以来、
吉懸の産土神と成った。
中古豪族、鞍川氏(鎌倉時代)の尊崇淳く社殿造営のことあり、
と伝えられている。
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阿努(あぬ)神社
五柱(いつはしら)社
| 鎮座 | 余川 3690番地
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| 祭神 |
天忍穂耳尊・
天忍穂日命・
天津日子根命・
活津日子根命・
熊野久須毘命
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| 社格 | 指定村社
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| 由緒 |
旧記によれば明暦2年以前に建立され、
当時、五社大明神と称し住民の尊崇篤かりしと云う。
社殿は規模小なり、また破損甚だしきため、
文化3年8月拝殿を、文化5年本殿を建立し今日に至る。
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| 関連 |
氷見の巨樹・名木、
氷見の指定文化財
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金田(かなだ)神社
| 鎮座 | 余川 6205番地
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| 祭神 |
天忍穂日命・
天津彦根命・
市杵嶋姫命
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| 社格 | 指定村社
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| 由緒 |
越中旧事記射水郡有磯之賦に、射水郡内の社は、布勢・箭代・磯辺・
泉天満宮・(中略)、
金田の虚空蔵は枯木に現れて福徳に花咲かす云々、と有る。
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天満宮
白山社
| 鎮座 | 田江 1262番地
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| 祭神 |
菊理姫命
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| 社格 | 村社
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| 由緒 |
田江村は縄文土器の出土により、
また、白応時代、
安努庄太領より住民が存在していたと云う。
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上田(うわだ)神社
天満宮
| 鎮座 | 泉 1213番地
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| 祭神 |
菅原道真・
阿努君広嶋
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| 社格 | 指定村社
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| 由緒 |
後三条天皇延久3年に、刑部藤原忠久が、
阿努郷の富豪道萬道中の奉載を得て、
大廈を造営、云々とあり、
越中旧事記に伝える越中国一社冠頭の天満天神として氷見郷衆諸崇敬の天神である。
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八幡神社
阿努(あぬ)神社
御田(みた)神社
| 鎮座 | 仏生寺 495番地
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| 祭神 |
大年神・
御年神、他三柱
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| 社格 | 郷社
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| 由緒 |
本社は六国史の三代実録に登載してあり、
皇室の崇敬厚く神祇官より神階を授けられる。
仁寿元年正月、正六位。文治元年3月3日、正四位上を授けられる。
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| 関連 |
氷見の巨樹・名木
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蒲田白山神社
| 鎮座 | 神代 729番地
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| 祭神 |
伊弉諾尊・
伊弉册尊・
菊理姫命
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| 社格 | 指定村社
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| 由緒 |
天平4年、越中の国守、田口朝臣年足が巡視の際に、
加久弥神社の神田として選ばれ、白山社を勧請したと云う。
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加久弥神社
| 鎮座 | 神代 2676番地
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| 祭神 |
倉稲魂神・
天照皇大神
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| 社格 | 郷社
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| 由緒 |
天平4年9月、外従五位下田口朝臣年足が、
国守として巡視の際に、当社に参拝したと云う。
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天満宮
布勢(ふせ)神社・御影(みかげ)社
日宮(ひのみや)神社
| 鎮座 | 大浦 1804番地
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| 祭神 |
天照皇大神
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| 社格 | 村社
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| 由緒 |
勧請年は天平年間と言い伝え有り。
古来、久目神社と称せられ、家持、下降のみぎり、
御神鏡・幣帛(へいはく)を奉献せられ、御歌を奉詠なされたと云う。
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| 御歌 |
久目神爾君賀千年遠祈留良牟(くめかみにきみがちとせをいのるらむ)
耳浦爾都久在明乃月(みみうらにつくありあけのつき)
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| 意訳 |
久目神社、弥栄(いやさか)思い、祈願した。
耳浦で見た、朝方(あさがた)の月。
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久目はん、ずっと頼んちゃ。
耳浦から見とった、明けの月みたいがに。
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| 感想 |
在明の月は満月の1〜2日遅れが見頃だそうですね。
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湖光(ここう)神社
| 鎮座 | 湖光 9番地(俗称、古江新村)
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| 祭神 |
天照皇大神・
豊受皇大神・
潮満珠命・
潮干珠命
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| 社格 | 村社
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| 由緒 |
万葉集に布勢水海在奮江(ふるえ)村と有る。
干拓地に創建された当地の旧社地と社号に古江新・神明社の名を残す所。
宝永5年の新開、弘化2年の整地、その度に移転された。
明治8年、この奮江なる布勢湖(十二町潟)の氾濫を
海に落とす吐川新設による干拓の地にも、
潟中開(かいずびらき)神明社が建てられた。
それは時の太政官のお陰として、だいじょかん(太政官)の宮と呼ばれた。
昭和51年、農地構造改革に伴い、それぞれの神明社は、500メートル東の古江新に
合祀され、社号・地名とも湖光とされた。
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| 関連 |
万葉の歌碑・史跡、
巻17-3991、
巻19-4187(抜粋)
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日宮神社
稲荷社
八幡神社
| 鎮座 | 朝日丘 3910番地(俗称・村上)
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| 祭神 |
応神天皇・
神功皇后・比売神
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| 社格 | 不詳
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| 由緒 |
悪い大亀がいて、作物を荒らしたり海人に危害を与えたので、
大伴家持にご祈誓をお願いしたところ、
亀は去ったと云う。俗称「雀森」は「鎭め森」か。
ここは元、十二町村で有った。
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多胡神社
| 鎮座 | 上田子 字前田 1266番地
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| 祭神 |
天照大御神・
応神天皇・
比淘蜷_
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| 社格 | 指定村社
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| 由緒 |
従来、神明宮・八幡宮の合殿であったが、
大正7年10月15日、合祀し八幡神社と改称した。
昭和2年4月15日、多胡の地名に因み多胡神社と改めた。
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田子浦(たごのうら)藤波神社
神明社
| 鎮座 | 島尾 1349番地
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| 祭神 |
天照皇大神・
豊受大神・
建御名方神・
応神天皇・
神功皇后
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| 社格 | 不詳
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| 由緒 |
往古は尾崎山に尾崎部落が有ったが、海岸の島が開発されたため、
次第に島部落へ移住したと云う。それぞれの部落名を取り、
明治15年「島尾」と改称された。
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柳田(やないだ)神社
手向(たむけ)神社
南條神社
古江(ふるえ)神社
| 鎮座 | 窪 2431番地
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| 祭神 |
菅原道真・
応神天皇、
他八柱
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| 社格 | 指定村社
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| 由緒 |
明治15年、天満宮を古江神社と改称。
窪の村名は、往昔の射水郡旧江村と云う。
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| 関連 |
古江神社について
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日宮(ひのみや)神社
| 鎮座 | 中央町 2-47番地
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| 祭神 |
天照大日霊尊・
須佐之雄命・
豊受大神・
天満大神、
他五柱
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| 社格 | 郷社
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| 由緒 |
本社は天長5年2月の勧請である。
此地は古く比美の江の名所にして、蒼海に面し
潮頭日出を見るが故に日見と称し、本社も日宮と称される。
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入江(いりえ)神社
| 鎮座 | 朝日本町(田町 26番地)
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| 祭神 |
伊弉諾尊・
伊弉册尊・
事代主尊・
菊理姫命
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| 社格 | 指定村社
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| 由緒 |
今より約200年前までは、上庄川の下流が仏生寺川と合し、
有磯海に入る氷見の江の面影を残し、
南中町に氷見の江神社、田町に入江神社が有り、
往時、地方文化の中心で有った。
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日吉神社
| 鎮座 | 本町 60番地(南大町 365番地)
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| 祭神 |
大山咋命・
須佐之男命・
市杵島姫命・
菅原道真
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| 社格 | 郷社
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| 由緒 |
白鳳10年、太田浦より得た千手観音像を本尊とした。
別当、上日寺の創建より、朝日山大権現山王宮と称え、
両部習合にて奉仕される。祇園大神幸祭は有名である。
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| 関連 |
氷見の祭り
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伊勢玉(いせたま)神社
| 鎮座 | 伊勢大町1丁目9番23号
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| 祭神 |
天照大御神・
火産霊神・
事代主命・
菅原道真・楠木正成、他
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| 社格 | 不詳
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| 由緒 |
天平19年4月、大伴家持によって社殿が造営され、以来、有磯宮と称し、
氷見地方総鎮護の神として豪族・郷民から崇敬された。
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| 関連 |
氷見の巨樹・名木
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高岡圏(高岡:8座・福岡:3座)
高岡市和田・荊波(うばら)神社
松太枝神社
| 鎮座 | 高岡市太田 4422番地の1
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| 祭神 |
菅原道真命・
伊弉諾尊・
伊弉册尊・
菊理姫命・
天照皇大御神
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| 社格 | 不詳
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| 由緒 |
近くに桜谷古墳群が有ることから、奈良時代以前に
相当の人家が有ったことが考えられる。
社名は、松太枝の長浜を詠んだ地名に因んだもので有る。
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天満社
八幡社
| 鎮座 | 高岡市伏木古府2丁目1番1号
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| 祭神 |
応神天皇・
神功皇后
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| 社格 | 不詳
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| 由緒 |
大伴家持が氏神として崇敬し、近くに国府館の跡と推定される所が有る。
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伏木神社
| 鎮座 | 高岡市伏木東一宮17番2号
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| 祭神 |
天照皇大御神・
豊受大御神・
応神天皇・
神功皇后・
菅原大神
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| 社格 | 不詳
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| 由緒 |
天平4年9月に神明宮として、伊勢皇大神宮から蔵ヶ浜に勧請され、
当時の大伴家持が厚く崇敬したようである。
はじめは神明宮と称し近郷11ヶ村の総社として崇敬された。
社殿は海岸の浸蝕により文化10年9月24日、現在の地(国府の別館の跡)に遷座された。
神事は伏木の曵山車として有名である。
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気多(けた)神社・大伴神社
物部(もののべ)神社
| 鎮座 | 高岡市東海老坂 字川田 1068番地
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| 祭神 |
宇麻志摩遅命・
応神天皇
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| 社格 | 指定村社
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| 由緒 |
物部氏の祖、宇麻志摩遅命を祀る。
物部氏の一族は、大彦命に従って北陸を鎮護した。
天平年間に大伴家持が国司として赴任した時、
随行した物部氏族たちが、この地に我等の氏神が祀られて有るとして喜び崇敬した。
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高岡関野神社(高の宮)
| 鎮座 | 高岡市末広町 9-56
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| 祭神 |
伊弉冉尊・
事解男命・
速解男命・稲荷大神・前田利長命
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| 社格 | 県社(神社本庁に所属せず。)
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| 由緒 |
関野神社(熊野座)・高岡神社(稲荷座)・加久彌神社(神明宮)は
関野三社と称して、同一境内に鎮座されている。
加久彌神社は往古、射水郡関野郷上関村に鎮座せる式内社で有った。
大伴家持卿、越中国司として下向の時、当社に参拝し神鏡を奉納したと伝える。
現在、神事としての高岡御車山祭は、余りにも有名である。
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荊波(うばら)神社
| 鎮座 | 高岡市和田 954番地
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| 祭神 |
瓊々杵尊・
大己貴命・
天照皇大神
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| 社格 | 旧指定村社
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| 由緒 |
現在旧福田村(和田・比島・石塚・福田新・辻・くらの町・荒見崎)及び本保の惣社として尊崇せり。
砺波郡福田郷の郷社。式内社荊波神社に比定する説有り。
文政社号帳に十禅師大易神。祭神天津彦火瓊々杵尊。
砺波郡福田惣社で、往吉大社にて社家、社僧等多く神殿、拝殿講堂、神供所等有となっているが、
旧跡は今残らず、前社領等有りと有ふ。
文禄二年前田利長公より御祈祷仰付・諸役御免許の文書有り。(市文化財)
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| 関連 |
巻18-4138
万葉の歌碑・史跡
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日尾(ひお)神社
| 鎮座 | 福岡町矢部 899-1番地
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| 祭神 |
天押日命・
底土神・
赤土神・
磐土神・
伊邪那伎命
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| 社格 | 指定村社
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| 由緒 |
大伴家持当国に司となる時、国内諸神社参拝の節、
本社は大伴家の祖神なりとて祭文を捧げられた。
在官中、しばしば参拝、篤く尊崇せられたりと云う。
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浅井神社
貴布禰(きふね)社
| 鎮座 | 福岡町木舟 46番地
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| 祭神 |
罔象女命
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| 社格 | 村社
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| 由緒 |
大伴家持の後胤、大伴右京、特定の勧請なり、と云う。
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射水圏(新湊:2座・大島:1座)
新港・放生津八幡宮
放生津八幡宮・祖霊社
| 鎮座 | 新湊市八幡町 2丁目2番27号
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| 祭神 |
応神天皇
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| 社格 | 不詳
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| 由緒 |
天平18年、大伴家持が古国府に赴任在職中、常に奈呉の浦を愛された。
郷人に敬神の念を普及させるため、豊前国(大分県宇佐市)宇佐八幡神を
勧請し、奈呉八幡と称したと云う。
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| 参考 |
毎年10月に行なわれる神事「新湊曳山祭」は、有名である。また、
平成5年、祖霊社が再建されてから毎年8月に「祖霊社祭」が行なわれており、
「のじた踊り」などが奉納されると云う。
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| 関連 | 巻17-4017・
万葉の歌碑・史跡
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西宮神社
| 鎮座 | 新湊市本町 2丁目4番の12
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| 祭神 |
事代主命・
大國主命・
豊玉姫命・
金刀比羅神
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| 社格 | 不詳
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| 由緒 |
大伴家持は、二上庄(伏木)の一宮村に
気多神社を創立の際、
別に、その摂社として三社の大神を勧請された。
当社は天平宝子8年7月、その一社として摂津西宮神社の分霊を賜わり
天正8年、神保安芸守の命により奈呉浦へ遷座し、奈呉浦西宮神社と称した。
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八幡社
| 鎮座 | 射水郡大島町鳥取 527番地
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| 祭神 |
譽田別命・
息長帯比売命・
誉津別命
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| 社格 | 不詳
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| 由緒 |
垂仁の御代に鵠(くぐい:白鳥)が捕れたと云う。
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小矢部圏(小矢部市:5座)
小矢部市臼谷・八幡宮
神明社
| 鎮座 | 小矢部市桜町 2432番地
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| 祭神 |
天照皇大神
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| 社格 | 村社
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| 由緒 |
大伴家持、国司在任の頃、土地の守護神として勧請したものと伝える。
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三島神社
| 鎮座 | 小矢部市田川 6382番地
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| 祭神 |
大山祗尊・
事代主命・
建御名方命
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| 社格 | 無所属・指定村社
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| 由緒 |
聖武天皇の神亀年間の頃、伊豆国加茂郡、伊豆三島神社の分霊を勧請せし社にして
往昔、中納言大伴家持・国司たる時、当社へしばしば巡拝されたと云う。
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八幡宮
護国八幡宮
| 鎮座 | 小矢部市埴生 2071番地
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| 祭神 |
譽田別命・
出雲社・春日社・埴安姫社・諏訪社・霊社・天満宮
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| 社格 | 県社
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| 由緒 |
奈良時代、養老年間、豊前国(大分県)宇佐八幡宮の御分霊を勧請したのに始まる。
天平年間、大伴家持が、国家安寧・五穀豊穣を祈願した、と社伝される。
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比売(ひめ)神社
| 鎮座 | 小矢部市宮中 131番地
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| 祭神 |
田心比売命・
天照皇大神・
伊邪那伎命
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| 社格 | 郷社
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| 由緒 |
当時の国司、大伴家持の家令、斎木貞信を従六位に叙して
当社および郷社・長岡神社の神官に任命し、
宮島郷43ヶ村、氏神総社と唱し、崇敬の中心となったと云う。
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砺波圏(砺波:3座・福光:2座・井波:1座)
砺波市池原・荊波神社
八幡宮
| 鎮座 | 砺波市高波 729番地
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| 祭神 |
譽田別尊・
垂仁天皇大君子命・
姉倉比売
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| 社格 | 村社
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| 由緒 |
垂仁天皇81年の頃、阿彦という悪人がいたので、
大若子命に討伐の勅命が与えられた。
途中、越の小竹野で白姥が現れ、
その教えに従い、八鉾の幡(はた)を作り、悪人を討死させた。
そこで八鉾の幡を納め八幡宮と称え崇め奉った。
白鳳4年、天武天皇(672年〜)より除蝗(イナゴ)の祈祷を社命あり、
文武天皇(697年〜)より宸翰(しんかん)の下賜あり、
天平年間、越中国司大伴家持より幣帛(へいはく)を奉る。
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荊波(うばら)神社
栴谷神社
荊波(うばら)神社
宇佐八幡宮
高瀬神社
| 鎮座 | 井波町高瀬 291番地
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| 祭神 |
大己貴命・
天活玉命・
五十猛命
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| 社格 | 国幣小社
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| 由緒 |
鎮座は神代の昔、または景行天皇11年(81年)の御代とも伝える。
朝廷からの崇敬も厚く、天武天皇の御代(672年〜)より連綿として今日に至る。
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| 関連 | 高瀬神社
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関連ページ