巻18(4,032〜4,138)は、彼の絶頂期であった。
■中央からの使者の案内も、自ら引き受けるほど詳しくなってきた。 行く先々での感動と再発見は、歌も次第に叙事から叙情へと移って行く。 また、使命である東大寺建立のための徴税にも励み、 巡行範囲や交際範囲も広くなった。 しかも、これ迄の単なる年貢の取立て屋から、 天候を気にするなど、人々の心にも迫っていった。
■彼の最大の感激は、例の「海行かば」であった。 大伴氏・佐伯氏の代々からの忠節が認められ、 そして、従五位下から従五位上へと昇進したのであった。 しかし、時代は国家神道から国家仏教へと次第に変わりつつあった。
左大臣橘家の使者、 田辺福麻呂を家持の館に招いた。
■家持の館は高台にあるので、海が一望できたのだろう。
■造酒指令史(さけのつかさのさくわん)は宮内省での醸造を司る。 令史はその三等官。
■繰り返す波をずっと見ていると、私にも、この気持ちは良く分かる。
■トラクターで田圃を起こすと、その列に、わっと鳥が集まってくる。 そんなイメージだろうか。
■氷見漁港でも、鴎(かもめ)かウミネコかは知らないが、 ギャアギャア騒いでいる時が有る。
■いずれが菖蒲(あやめ) か、かきつばた。私にはアヤメとショウブの区別が出来ない。
明日、二人で十二町潟を遊覧しようね。
■家持さんは、大分、風を吹かしたようだが、 田辺さんは、たいして期待していない様子だ。
■と、言う事で、ダメを押している。
■ 田辺さんも大分、乗ってきたようだ。 でも外海(そとうみ)と勘違いしている?
■玉櫛笥(たまくしげ) とは、「明けむ」の枕詞。
■この人、この時点では、全く信用していないが。
■家持さん、酒の勢いで 田辺さんを巻き込んだ。
■「ももしき」はステテコでは無い。沢山の石を敷いた宮、の意味。
■園とは庭園なのか。私は地名の氷見市園(その)と考えたい。
でも梅の花って、もう遅いんじゃないの。
■そうですね。今頃から鳴きます。
田辺さん、連荘に歌が出てくる、相当の人と見た。
■布勢の円山でも紹介されている。
■ 田辺さんが余りエスカレートするもので、家持、ちょっと牽制か。
■布施の円山(まるやま) 御影社の隣に、この 歌碑が有る。 私の小学生時代では、ここは秋の遠足コースだった。
■また、十二町・矢崎 稲荷社の境内に、この 歌碑が有るが、 「あすの日の」が「ほととぎす」になっている。 これは(一に頭に云はく「ほととぎす」)の珍しい例である。
当日の道中、馬の上にて二首
■何時もどの当たりから、舟に乗り換えるのだろうか。太田・島尾・柳田からなのか。
■ようやく、迎えが来たらしい。あれっ、女の人が乗っているよ。
水海で遊覧した。
■垂姫の崎とは、どこだろうか。園と大浦の間の岬だろうか。
■私が子供の時は、自宅の近くからでも田圃越しに見えた、 あの見事な「園の軍艦山」だろうか。確かに神さぶっていた。 現在は、かなり削られてしまって、住宅だらけで目立たないが。
■氷見に 垂姫神社が有る。しかし、阿尾・薮田が垂姫の崎とは信じたく無い。
■さすが高級コンパニオン。 「何なら、今晩お相手しましょうか?」をこんな歌にして誘っている。
■家持との初めて(次回は 巻18-4067) の出会い。コンパニオンは、 池主さんからの引き継ぎで、 久米さんが手配したのでは。いや、実は氷見の 安努(あぬ)さんかも。
■今、氷見には 古墳が多く発見されている。 遊行女婦土師 土師(はにし)といえば古墳に埋める埴輪を作る人らしいが、 土葬が流行しなくなってからは、セレモニー・センターに商売替えしたのだろうか。 職を失った土師の末裔はコンパニオンなのか。
■土師さんからの誘い( 巻18-4047)に、 こんな歌で返してしまった。不粋な方ですね、私ならホイホイと。
■都に残した妻や妹の事を、思い出したのであろうか。
■ 田辺さん、たかをくくっていたが、大分、気に入ったらしい。
■久米さんは、池主さんの後任。 天平19年5月から20年3月迄、越中掾を勤めた。
■せっかく招待客や上司がきているのに、と伝わってくる。
■上田子まで湖は続いたのだろうか。従って「多胡の崎」は下田子・上泉か。
■上田子のバス停近くに、この 歌碑が有る。最近、上泉の ヴィラージュ泉の杜にも新しく歌碑が出来た。
久米広縄の館にて。歌四首。
■卯の花---おから料理、てな訳ないか。
空木(うつぎ)の花の総称だそうです。
「花が白けりゃ、何でも良い」と言う人がいました。
「卯の花 AND ほととぎす」は万葉集には沢山、有るそうです。
■卯の花の匂う垣根に、ほととぎす早やも来啼きて、
しのび音もらす、夏は来ぬ。(小学唱歌)
卯の花の匂う垣根に---この唱歌はウソッパチだ、と言う人がいました。
卯の花の匂を嗅いだ人はいますか。
■は〜ちゃん、前回は舟遊び (巻18-4047)だったけど、今度はお座敷サービスですね。
■彼女は、たった2回しか登場していないけど、印象的ですね。
明日は立夏。
■コンパニオンが居ると、家持さんも調子が出て来ましたね。 は〜ちゃんも、付き合ったのかな。
■今日、居酒屋でも料亭でも、小鳥の鳴き声が聞こえるだろうか。
自宅では、早朝からスズメの鳴き声ばっかりですが、
晩酌時間はひっそりです。昔は、風流だったのですね。
羽咋の擬主帳(ぎしゅちょう)が作った。
■ 乙美(おとみ)さんは、大入杵(おおいりき)命の末裔で、 能登の豪族だそうです。
■「擬主帳」は主帳(郡の四等官)の補欠で、まだ郡司としての辞令は降りていない。 当時、能登は越中と合併していたのですね。
■氷見ではないが私の通勤途上なので、敢えて載せた。 今時、4月(新暦)に雪が降ることはマレだと思う。 だから感動したのでは。
■大門町の
藤巻神明宮や
大門中学校に歌碑が有る。
ここは巻17-4012以来の思い出の地となった。
翌年、阿尾で作った。
■「あいの風」で海が荒れるには、阿尾では東風である。 富山県はどこでも「あいの風」は東風ではない。 海から陸に吹く風は、呉西では北東・北と場所によりけり。 呉東では北西・西となる筈であろう。 ちなみに、地元では「あいの風」の反対を「だしの風」と言う。
■天平21年:天平感宝元年:天平勝宝元年と、くるくる年号が変わったらしい。
陸奥の国から、金がでた。
■国歌「君が代」にせまる、例の「海行かば」です。 氷見の右翼の兄ちゃんが読んだら、涙する名訳かも。
■天平21年2月22日、陸奥国守百済王敬福より黄金が献上され、 同年4月1日、聖武天皇は東大寺に行幸して黄金産出を大仏の前に報告したと言う。 家持は、家訓「海行かば」のお陰で、同日、佐伯宿禰毛人(えみし)と共に従五位として昇進したらしい。 この長歌は、その時に出された詔書を祝賀したものだそうです。 「大来目主」は、「偉大なる久米部の統帥者」の意味で、 天忍日命(あめのおしひのみこと)以下、大伴氏の遠祖らしい。
■金に水銀を加え熱すると柔らかな銀色のアマルガムとなる。 これを大仏に塗りつけた後、表面を熱すると水銀だけがが空気中に飛ばされ、 その結果、鮮やかな金色の大仏となるのであった。 しかし、実に恐ろしい作業であって、言わば水俣病の元祖なのであろう。
■伏木の 喜笛庵や 勝興寺では、 これを抜粋した「海行かば」の歌碑が有る。
■花妻は離(はな)れ妻、百合は後(ゆり)に掛かっていると言う。 単身赴任とは、やるせない事なのですね。
■最近(平成17年7月)、歴史の道「臼ヶ峰往来」日名田の登り口に、 この歌碑が建立された。 私には、何でこの歌が選ばれたのか分らないが。
待望の雨が降った。
■この年の5月から、ひどい日照りだったという。 そうなると農民は餓死寸前。 税金の取り立てどころか、 言挙げ(祈願・祈年)でもしないと中央から馬鹿にされる。 だから自分も農民も、よっぽど嬉しかっただろう。
■諏訪野(加納)の 上庄川左岸排水機場に、この歌碑が有る。
新年の宴会をした時
■家持は管内の豪族を呼び、宴会を開いた。 「今年も良しなに。」「お主も悪じゃのう、越後屋(?)」 「そういう代官こそ。」「ふっふっふ。」と頼んだ後、宴たけなわとなる。 「家持っあん、その頭ちゃ何んけ?」と、飲んだ勢いで部下が尋ねたのだろうか。
■太宰府の長官である帥老(そちのおきな)大伴旅人さんの頃(天平2年1月13日)は、 梅の花(巻5-817,821,833,836,840,843)をかざして喜んでいたという。 でも「千年寿くとそ」と迄は言っていない。宴会サービスは親譲りなんですね。
■伏木古国府の 勝興寺(ふるこはん)に、史跡表示碑が有り、 裏側にこの歌が刻まれている。 ちなみに、氷見には「寄生(ほよ)の会」という邦楽のグループがある。
墾田の検察のため、多治比部北里の家に宿った。
しかし雨なので、出発出来なかった。
■和田(高岡)の荊波(うばら)神社に、 歌碑が有る。 また、小矢部市臼谷の 八幡宮も薮並・荊波(やぶなみ)を名乗っており、同様の 歌碑が有る。 その後、砺波市池原の 荊波神社を訪ねたが、そこにも 歌碑があった どっちが元祖なのだろうか。