氷見にゆかりの登場人物を集めてみました。
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はじめに
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遊行女婦土師・山田君麻呂
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久米継麻呂・講師僧惠行
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能登臣乙美・安努君広島
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■万葉集に登場する、氷見に縁の人物を集めてみました。 しかし、 文献も参考 にしていますが、殆んど情報が有りません。
■従って、勝手に解釈しました。 どなたかご存知の方、教えて頂けませんか。
■今、氷見には 古墳が多く発見されている。 土師(はにし)といえば古墳に埋める埴輪を作る人らしいが、 土葬が流行しなくなってからは、 セレモニー・センターに商売替えしたのだろうか。 職を失った土師の末裔はコンパニオンなのか。
■しかし、この時代(7世紀)に字が書け、歌が詠めるとは。 そうなら、単なるコンパニオンでは無く、修業をつんだ「氷見芸者」の元祖であろう。
■接待は、仲良しの 池主さんからの引き継ぎで、 久米さんのお気に入りかな。いや、実は氷見の 安努(あぬ)さんの2号さんだったかも。
■「たぶれたる醜つ翁」と呼ばれ、家持から馬鹿にされてしまった。 史(ふびと)なのに、鷹の調教も担当させられていた。
■家持の鷹を逃がしたと言う事で、三度も叱られている。
■この人は、 掾久米朝臣廣縄(じょうくめのあそみひろなわ)の家族だろうか。
■「国師・講師」は、東大寺派の僧侶で、華厳経などの普及のため、 任命された地方僧官だそうです。
■乙美(おとみ)さんは、大入杵(おおいりき)命の末裔で、 能登の豪族だそうです。
■羽咋の「擬主帳」は主帳(郡の四等官)の補欠で、 まだ郡司としての辞令は降りていない。 当時、能登は越中と合併していたのですね。
■郡司とは、大領・少領・主政・主張の四等官で、終身とされている。 味川(碁石)出身で、加納(かんの)の大地主となり、後に地方豪族として、 この辺りを掌握した伊弥豆国造(いみずのくにのみやつこ)の子孫なのだろうか。 氷見市には、この人を祀る神社が沢山ある。
■地元の有力な民間人を、上手に律令制度に組み入れる事が、 当時の仕事の一つだったと思う。 家持さんも、この人が無視できなかったし、世話になったと思う。 引継ぎ事項として、 能登臣乙美の本採用も提案したに違い無い。
□巻19-4251
□天満宮(稲積)・
天満宮(泉)・
八幡宮(吉懸)・
阿努神社(味川)・
阿努神社(鞍川)・
八幡神社(加納)