万葉の歌碑・史跡
氷見における万葉の歌碑・史跡を全て集めました。ついでに…、
はじめに
■氷見における万葉の歌碑・史跡を全て集めました。
また、私の通勤途上や近郊の歌碑・史跡も加えています。
これらは、私の独断・偏見で選んでいますが。
なお、
文献も参考
にしていますが、このページを当てにしないで下さい。
■碑文は流暢すぎて読めない場合は
水垣さんのページ内で
訓読万葉集を利用しました。
それでも探し難い場合はテキスト版をダウンロード(682KB)し、
検索を利用しました。(水垣さん、有難う。)
■
をクリックすると、写真または解説が見られます。
実物の碑文と解説文では、全体の構成上、異なる場合が有ります。また、
をクリックすると、地図が見られます。中央の+印が現地です。
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氷見の万葉の歌碑・史跡
日名田の歌碑
日名田(ひなた)
| 歌碑 | 巻18-4113
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| 場所 | 日名田 254番地附近
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| 建立 | 平成17年7月「庭中花作家」石碑建立実行委員会
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| 書者 | 中西 進(京都市立芸術大学学長)
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| 感想 |
最近、臼ヶ峰往来保存委員会・臼ヶ峰往来振興会らが中心となり建てられたと言う。
バス停・下日名田(一般地方道氷見・志雄線)またはJA速川支所(主要地方道高岡・氷見線)から入って突き当たり。
鄙びた国へ単身赴任のやるせなさが伝わってくる。
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| 感想 |
歌碑の附近に案内板・首無し地蔵が有った。
案内板をジックり眺めていると、臼ヶ峰に至るには、廃道・新道→現在の床鍋越えとルートが変わって来ている。
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| 参考 |
ここから、臼ヶ峰〜下石に続く
歴史の道となる。
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臼ヶ峰(うすがみね)
| 歌碑 | 巻17-4025
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| 場所 | 臼ヶ峰(親鸞聖人銅像の石段前)
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| 建立 | 昭和40(1965)年6月 若葉吟社(地元の俳句結社)
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| 書者 | 松村謙三(元、文部大臣)
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| 材質 | 小矢部石(安山岩 1,330×980)
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| 歌碑 | 巻01-0001
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| 場所 | 臼ヶ峰(親鸞聖人銅像の石段前)
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| 建立 | 平成4(2004)年8月 臼ケ峰往来振興会・ 能越万葉会
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| 書者 | 中西 進(京都市立芸術大学学長)
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| 石碑 | 歴史の道百選
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| 歌碑 | 巻19-4154
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| 場所 | 臼ヶ峰(太子堂の近く)
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| 建立 | 2000年早春 越登加万葉会
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| 感想 |
何時の間にか建っていた。
往古は粟原越えだったが、江戸時代頃になると現在の国道415号に近づいたのか。
八幡神社の副碑によると、
巻19-4251のコースは、
こっちを通ったのだろうか。
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| 参考 |
ここは、日名田〜下石に続く
歴史の道なのだった。
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臼ヶ峰・地蔵園
| 感想 |
水子供養の石仏は知っていたが、何時の間にか万葉歌碑が建っていたとは。
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榊葉乎布(おふの)神社・参道
| 歌碑 | 巻18-4093
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| 場所 | 阿尾 502番地 榊葉乎布神社(阿尾城址の参道)
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| 建立 | 昭和58(1983)年1月 氷見市
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| 書者 | 茶谷一男(当時の氷見市長)
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| 材質 | 甲州鞍馬石(2,700)
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八幡神社(加納・かんの)
| 歌碑 | 巻19-4251
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| 場所 | 加納 1456番地 八幡神社
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| 建立 | 昭和43(1968)年夏 沢武 修一(地区有志)
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| 書者 | 吉川正文(当社の宮司)
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| 材質 | 黒御影石嵌入(600×900)、台石は伊予石(1,300×2,000)
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| 参考 |
社の周辺を安努郷と想定し、建碑された。歌碑の左に副碑が有る。
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上庄川左岸排水機場
| 歌碑 | 巻18-4124
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| 場所 | 諏訪野 3番地 上庄川左岸排水機場(流慶橋の左岸近く)
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| 建立 | 昭和61(1986)年1月 氷見市
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| 書者 | 茶谷一男(当時の氷見市長)
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| 材質 | 甲州鞍馬石(1,700)
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| 参考 |
県営湛水防除事業の完工を記念として建碑された。
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有磯(ありそ)高等学校
| 歌碑 |
巻19-4218・
巻19-4226・
巻20-4516
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| 場所 | 鞍川 1056番地 富山県立有磯高等学校
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| 建立 | 巻19-4218・昭和62(1987)年
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| 巻19-4226・昭和61(1986)年
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| 巻20-4516・平成元(1989)年
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| 書者 | 巻19-4218・茶谷松代(当時の書道担当教諭)
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| 巻19-4226・堀江さと子(当時の書道担当教諭)
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| 巻20-4516・佐野昌男(当時の学校長)
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| 材質 | 巻19-4218・三重石
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| 巻19-4226・伊予石
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| 巻20-4516・伊予石
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| 参考 | 何れも、当時の卒業記念碑として残している。
有磯高校は、ほしのふるまち氷見高校にM&A(吸収)された。
同校野球部は富山大会(平成22年7月17)で上市高校に敗れ(1-6)最後の試合となってしまった。
この歌碑群は氷見高校として保存されるのか?
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中の橋
| 歌碑 |
巻19-4199
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| 場所 | 本町16番19号 北陸銀行氷見支店(湊川「中の橋」添い)
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| 建立 | 平成2年6月(中の橋県単橋梁整備事業・架替工事完成記念)
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| 書者 | 大島文雄(富山大学名誉教授)
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| 感想 |
氷見の万葉歌碑は、同じ歌がダブらないのが自慢だったのに。
田子浦藤波神社に同じ歌が有るので、この定説がくつがえされた。
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道の駅・海鮮館
| 歌碑 |
巻17-4011
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| 場所 | 中央町7-1
道の駅・「海鮮館」
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| 建立 | 平成14年10月(氷見市制施行50周年記念)
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| 書者 | 堂故茂(氷見市長)
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| 材質 | 黒御影石
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| 石工 | 山産交易株式会社
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| 感想 |
氷見市制50周年記念事業の一環として建立されたという。
近くに住んでいながら気付かなかった。
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十二町潟排水機場
| 歌碑 | 巻17-3992
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| 場所 | 窪 938番地 農林水産省・十二町潟排水機場
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| 建立 | 昭和59(1984)年(氷見市・十二町潟排水機場竣工記念)
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| 書者 | 茶谷一男(当時の氷見市長)
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| 材質 | 黒御影石(2,000)
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| 感想 |
国営総合灌漑排水事業の一環として、この施設が完成した記念に建碑された。
傍らに副碑(アフリカ産黒御影石)が建っている。
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| 参考 |
工事中、多数の縄文式土器・貝化石が出土したという。
その一部は、氷見市教育文化センター玄関に展示されている。
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| 関連 |
湖光神社
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十二町潟水郷公園
| 感想 |
これも、最近まで気が付かなかった。
冬季の白鳥飛来時でも、立ち寄ったらどう?
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日宮神社
| 歌碑 | 巻17-3992
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| 場所 | 十二町 字高塚 1984番地 日宮神社
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| 建立 | 平成11年12月
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| 奉納 | 喜寿記念 宮下又一郎
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| 書者 | 吉川 正紀
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| 案内 |
水郷公園入口の反対側に、道路をまたいだ日吉神社の鳥居が見える。
そこから北へ進むと堤で行き止まりとなるが、
その約200m手前に神社の参道を示す灯篭が見付かる。
そこを左折し、更に約200m程進むと、神社に行きつく。
途中、Uターンできないので、失礼して境内に入る事にする。
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| 感想 |
どのガイドブックにも載っていないが、境内の東側に個人が奉納した立派な歌碑が有る。
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| 関連 |
万葉ゆかりの神社
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稲荷社
| 歌碑 | 巻18-4043
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| 場所 | 十二町矢崎 字竹ヶ尻 3314番地 稲荷社
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| 建立 | 平成10年春 山ア 茂一(個人所有)
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| 協力 | 坂下 豊・崎山 修・宮崎 幸一・柿原 諭・宮崎 幸夫
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| 書者 | 吉川 正紀(当社の宮司)
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| 感想 |
「あすの日の」が「ほととぎす」となっており、以下は「巻18-4043」の通りとなっている。
これは(一に頭に云はく、「ほととぎす」)という珍しい例(異伝歌)であろう。
吉川正紀氏は先の宮司、吉川正文氏の子息(長男ではない。)という。
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| 関連 |
万葉ゆかりの神社、
氷見の指定文化財、
氷見の巨樹・名木
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湖光(ここう)神社
| 歌碑 | 巻19-4187(抜粋)
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| 場所 | 湖光 9番地(旧称、古江新村) 湖光神社
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| 建立 | 昭和50年5月(湖光土地改良区)
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| 平成2年(平成御大典記念・耕作氏子一同)
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| 協力 | 積良 徹(相談役)・広沢 昭二(当時の理事長)
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松田江の長浜
| 案内 |
植物園の受付嬢に聞いたが要領を得ず、園長さんに教えて貰った。
この辺りは、日本の
遊歩百選に選ばれている。
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| 感想 |
昔から有った筈なのに、気が付かなかった。
こんな木碑でも一応、歌碑に加えておこう。
しかし、近年に撤去されてしまった…残念。
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布施の円山(まるやま)
| 歌碑 |
巻18-4042(小祠横)・
巻18-4043
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| 場所 | 布施 1826番地 布勢神社・御影社(布施の円山)
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| 建立 | 昭和60(1985)年9月21日 布施地区有志
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| 書者 | 茶谷一男(当時の氷見市長)
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| 材質 | 氷見市碁石産・黒御影石
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| 参考 |
大伴家持卿1,200年祭に当たり、
老朽化した御影社(間口90センチ、奥行80センチ)の改築記念として建碑されたという。
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| 関連 |
万葉ゆかりの神社、
氷見の指定文化財
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| 史跡 | 大伴家持卿遊覧之地
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| 建立 | 享和2(1802)年5月18日 服部叔信(高岡町年寄 文人)
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| 撰文 | 山本有香・内藤元鑑(金沢の医師)
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| 題字 | 藤原定逸(花山院藤公)
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| 建立 | 天野屋三郎左衛門(服部叔信)
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| 材質 | 砂岩(泉砂岩 1,500×250)
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| 参考 |
山本有香は高岡の旧家に生まれた。
京都に出て、山本忠良と称し、油小路に住んで医を業とした。
なお、同碑は万葉の碑としては越中では最古。
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| 史跡 | 大伴家持卿之碑
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| 建立 | 明治33(1900)年8月 布施地区有志
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| 撰文 | 重野安釋(歴史学者)・金井之恭(書家)
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| 題字 | 小松宮彰仁親王
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| 材質 | 銅碑(筆の穂先状1,500)と石の二段積台座(全長5,000)
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| 参考 |
地元の万葉学者、高沢瑞信(神職)が主唱。
氷見地方の豪農の協力によって建碑。
同年11月、県知事を祭主に御影社前において、
大伴家持卿千百年祭を挙行した。
昭和18年に銅碑部分を供出したが、
36年、布施出身で富山市在住の寺田清枝氏の篤志で、再建された。
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ヴィラージュ泉の杜
| 歌碑 | 巻18-4051
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| 場所 | 上泉 ヴィラージュ泉の杜公園
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| 建立 | 平成12年11月(上泉自治会・光陽興産)
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| 書者 | 山ア平樹(元上庄小学校長・郷土史家:上泉 236)
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| 材質 | 花崗岩(長野産 2,500×1,200 約7トン)
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| 案内 |
国道415号添いに、現地への案内看板「ヴィラージュ泉の杜」がある。
約100〜200メートル進み坂を登りきると、住宅街内に小公園が見つかる。
北日本新聞で紹介(平成13年7月12日)された。
ちなみに私は、山崎先生から窪小学校時代に国語を習った思い出がある。
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バス停 「国泰寺」 前
| 歌碑 | 巻18-4051
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| 場所 | 上田子 54番地 林 正憲さんの前(バス停 「国泰寺前」近く)
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| 建立 | 昭和4年4月 上田子地区有志
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| 書者 | 関 成若(先代の宮司)
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| 材質 | 御影石(3,000×330)
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| 参考 |
上田子の八幡社が、昭和2年4月に
多胡神社と改称した時、
神職の関氏(不詳、
高岡関野神社か?)の勧めにより
「多胡の崎」と呼ばれる当地に建碑された。
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田子浦(たごのうら)藤波神社
| 歌碑 | 巻19-4199
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| 場所 | 下田子字勘定 1429番地 田子浦藤波神社
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| 建立 | 明治35(1902)年11月、子孫の南 長平ら村民有志
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| 書者 | 本居豊穎(もとおりとよかい:本居宣長の曾孫・東宮侍講)
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| 材質 | 白御影石(1,830×360)
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| 参考 |
建立者の南家は、家持と共に越中へ下った橘 正長(橘 諸兄の五男)の
末裔(南 信光)と伝えられ、後に放生津へ移住したと云う。
社殿は昭和55年に再建されたが、同時に歌碑の台座を改築した。
同碑の正面に、巖谷 修(貴族院議員)の筆になる
「大伴家持御歌碑」の文字が刻まれている。
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| 関連 |
万葉ゆかりの神社、
氷見の指定文化財
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高岡圏の万葉の歌碑・史跡
JR高岡駅前の家持像碑
太田小学校
| 歌碑 | 巻19-4206
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| 場所 | 高岡市太田 4,619番地 太田小学校(島尾寄り)
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| 建立 | 昭和57年10月5日 太田小学校(校舎新築落成)
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| 書者 | 村田豊二(元氷見市教育長・元太田小学校校長)
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| 材質 | 能登石(花崗斑岩 1,460×2,870)
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| 感想 |
この当たりの行政区域は高岡市だが、もとは氷見郡であり、
西條中学校に通っていた同級生がいた。
卒業生に聞いたら、「そんなもん、有ったかの〜?」とつれない返事だった。
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雨晴観光駐車場
| 歌碑 | 巻19-4159
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| 場所 | 高岡市太田渋谷 雨晴観光駐車場(バス停岩崎近く)
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| 建立 | 昭和63年
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| 感想 |
見逃してしまうほどの、小さな歌碑と都万麻が有った。
ここに、高岡市内の万葉歌碑の一覧表が掲示してあり、沢山紹介されていた。
その内、行って見ようと思う。伏木なら、沢山ある筈だ。
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太田・つまま公園
| 歌碑 | 巻19-4159
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| 場所 | 高岡市太田岩崎 つまま公園(新渋谷橋近く)
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| 建立 | 安政5年(1858)肝煎宗九郎
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| 大正7年(1918)松井巌夫(高岡高等女学校教諭)、御旅屋太作が再建
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| 材質 | 太田石(砂岩 1,340×370)
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| 感想 |
JR雨晴駅の観光案内所で聞いたが、知らないと言う。
この時、万葉の古里はやっぱり氷見だなあ、と実感した。
で、通りすがりの檀家参りのお坊さんに聞いたら、親切に教えて下さった。
やっぱり神官・僧侶は、さすがと思う。
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太田・道ヶ谷
| 歌碑 | 巻16-3882
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| 場所 | 高岡市太田字道ヶ谷(古池ヶ谷)
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| 建立 | 昭和46年11月 古市忠雄(太田の湯主)
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| 書者 | 堀健治(当時の高岡市長)
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| 材質 | 太田石(砂岩 2,550×1,330)
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| 感想 |
バス停岩崎から、太田の湯への途中路に有り、すぐ分かる。
太田の湯主、古市忠雄氏が私費で建立したと言う。
当地の歌碑で、旋頭歌(577,577)は珍しい。
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国分・喜笛庵
| 歌碑 | 巻18-4094
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| 場所 | 高岡市伏木国分 72-3 南雄邦さんの近く
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| 建立 | 昭和38年8月
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| 感想 |
ご存知、軍歌「海ゆかば」。
現地付近は道路工事中で分かり難くかった。「家持山石雲寺喜笛道場」の標識が有り、狭くて急激な山道を5分ほど登る。
地元の人は元々は寺が有ったが、焼失したと言う。
紀元2600年を記念し、住職の南喜笛氏が地元の協力を得て、建立したという。
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万葉歴史館
| 歌碑 | 巻17-3985
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| 場所 | 高岡市伏木一宮 1-11-11 高岡市万葉歴史館 前庭
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| 建立 | 平成2年10月
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| 感想 |
近年に建立されたが、長歌全文の碑は珍しい。
私は会員ではないが、何度かこの歴史館を訪れている。
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| 歌碑 | 巻17-4000
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| 場所 | 屋上自然公園
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| 建立 | 平成6年10月(高岡市)
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| 揮毫 | 犬養孝
大阪大学名誉教授・甲南女子大学名誉教授
万葉歴史館名誉館長・文化功労者・文学博士
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| 感想 |
ご存知「立山の賦」。仮名と読下しが併設されている。「富山県民の歌」や「氷見市民憲章」のルーツだろう。
ちなみに「立山の 空にそびゆる 雄々しさに 習えとぞ思う 御代の姿も」とは、
かつての昭和天皇が富山県に賜わった御歌。
窪小学校(三国先生)か西條中学校(稲政先生)かは忘れたが、
音楽の時間に、この歌を習った思い出がある。
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| 歌碑 | 巻19-4151
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| 場所 | 屋上自然公園
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| 建立 | 平成14年6月(高岡西ロータリークラブ)
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| 創立25周年記念・桜植樹、創立35周年記念・建立
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| 感想 |
何度と無く歴史館を訪れているが、最近まで歌碑には気が付か無かった。
それにしても、この公園は整備が行き届いている。
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伏木・気多神社
| 歌碑 | 巻17-3954
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| 場所 | 高岡市伏木東一宮大平 2,068番地
気多神社・大伴神社
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| 建立 | 昭和38年9月
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| 富山ペンクラブ(翁久允)・伏木文化会(堀詮之助)・富山郷土史会(嶋尾正一)
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| 書者 | 大島文雄(富山大学教授)
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| 材質 | 仙台石(粘板石 1,880×760)
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| 感想 |
立派な神社である。
石碑に故事来歴が書いて有るが、読まなかった。(読めなかった。)
歌碑の方は、有名な歌なので分かった。
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伏木小学校
| 歌碑 | 巻19-4143、
巻19-4139(副碑)
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| 場所 | 高岡市伏木東一宮 伏木小学校(前庭)
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| 建立 | 昭和42年3月 第9回卒業生、平成元年1月(副碑)
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| 書者 | 米田小三(号:瑞穂 同校教頭)
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| 材質 | 仙台石(粘板石 1,950×710)
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| 感想 |
正門から入ると右側に体育館が有る。その横を通るとグラウンドが見え、奥の右に小公園が見付かった。
観光地では無いので、学校施設として正式に訪問すべきであろう。
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伏木・光暁寺
| 歌碑 | 巻19-4139
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| 場所 | 高岡市伏木東一宮 万葉山光暁寺(前庭)
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| 建立 | 昭和56年9月 井出宝泉(第1回高岡万葉まつり)
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| 材質 | 太田石(砂岩 1,430×1,800)
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| 感想 |
伏木小学校と伏木神社社務所の間に、鉄筋コンクリートの寺が見付かる。
その前庭・駐車場に、この歌碑が有った。
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伏木測候所
| 史跡 | 越中国守館址・巻19-4150
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| 場所 | 高岡市伏木古国府 474番地 伏木測候所(前庭)
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| 建立 | 昭和57年10月 高岡市教育委員会・伏木古典の会(武部弥十武)
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| 書者 | 鶴木大寿(富山大学教授)
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| 材質 | 仙台石(粘板石 2,420×1,080)
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| 感想 |
現在は無人測候所なのか、ゲートが掛かっている。
右側に隙間が有り、そこから忍び込んだ。
ここは当時、家持が住んでいた官舎の跡地らしい。
史跡の裏に歌が刻んである。
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伏木・勝興寺
| 歌碑 | 巻18-4094
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| 場所 | 高岡市伏木古国府 770番地 勝興寺
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| 建立 | 昭和12年8月 飛見丈繁(日支事変の北京攻略として)
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| 書者 | 禅野天涯
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| 材質 | 仙台石(粘板石 1,950×940)
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| 感想 |
ここは、ご存知の「ふるこはん」です。総門の近くに建立。
現在は改修工事中なので、工事現場の所長さんの許可が無いと、史跡は見学出来ない。
しかし、運良く気の良さそうな庭師に出会い、境内を案内して貰う事が出来た。(感謝)
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| 史跡 | 越中国廰址・巻18-4136
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| 場所 | 本堂左側
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| 建立 | 昭和51年8月 伏木文化会(京谷準一)
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| 書者 | 上原欣堂(富山大学名誉教授)
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| 材質 | 伊予石(結晶片石 2,680×2,400)
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| 感想 |
本堂左奥に建立。
庭師さんには「史跡より、裏側の歌はどうですか。」とか
「この池は、龍の彫物のお陰で、枯れる事は有りません。」等とか、色々教えて貰った。
また、「この後、正法寺に向かうのですが。」と告げたら、「歌碑が多いので、時間がかかりますよ。」と教えてくれ、それならばと工事中の現場を案内して貰った。
全天候型の仮説足場に加え、私の想像を絶する費用と工期がかかると言う。
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| 感想 |
ここは境内であるが、一旦外に出なければならない。
お参りを済ませ、右側の道路に添って寺井の跡に向かった。
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伏木・古府小学校
| 歌碑 | 巻17-3987
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| 場所 | 高岡市伏木古府元町
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| 建立 | 平成3年10月
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| 書者 | 五嶋道男(校長)
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| 案内 |
校門左脇、すぐ分かる。グラウンドの桜が綺麗だった。
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伏木正法寺・万葉植物園
| 歌碑 | 巻17-3987、他30箇所以上?
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| 場所 | 高岡市伏木一宮若草(矢田) 正法寺境内
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| 建立 | 昭和31年 道前泰貫(同住職:万葉植物園開設記念)
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| 書者 | 佐々木信綱(国文学者・歌人)
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| 材質 | 立山石(安山岩 1,260×1,350)
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| 案内 |
本堂に向かい石段を登ると、右手に万葉植物園の石碑が見える。
更に右側の細い道を進むと、地上に無数の歌碑(?)が置いて有る。
ここは、八十八体石仏の霊場として有名。
獣道なので都会っ子は迷子になるかも知れない。
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二上山・郷土資料館
| 歌碑 | 巻17-3987
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| 場所 | 高岡市城光寺大谷
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| 建立 | 昭和44年7月 山本源太郎、他(建設発起人)
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| 書者 | 吉田実(当時の富山県知事)
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| 材質 | 筑波石に黒御影石の嵌入(930×2,090)
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| 案内 |
二上山万葉ラインの途中、郷土資料館の正面右側に有る。
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二上山の像碑
| 像碑 | 巻17-3987
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| 場所 | 高岡市二上山奥御前下
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| 建立 | 昭和28年:高岡駅前広場(高岡市文化連盟)
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| 移転 | 昭和37年:二上山中腹の経塚
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| 昭和43年:二上山万葉植物園
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| 昭和56年9月:現在地(第1回高岡万葉まつり)
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| 制作 | 米治一(彫刻家・高岡市)
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| 書者 | 入江為守(宮内庁御歌所長)
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| 材質 | ブロンズ(高さ2,000)、台座は御影石
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| 案内 |
駐車場で止め、階段を登る。
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| 感想 |
像碑の周りに、紫のかたかごの花(4月初旬)が植えて有った。
こんな南面の直射日光でも、育つとは。
自宅でも栽培してみたが、山野草の類は難しく失敗に終わった。
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二上山・万葉植物園
| 歌碑 | 巻17-4006
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| 場所 | 高岡市二上山・万葉植物園
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| 建立 | 不詳。昭和53年 修復(高岡市)
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| 案内 |
奥御前下駐車場の右から50mほど下ると、植物園の専用駐車場が有る。
徒歩で順路1から2へ50mほど進むと、休憩場や悪王子社が有る。
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| 感想 |
余程その気にならないと、風化していて字は読めない。
しかし、沢山の副碑(万葉集と植物の解説)が有り、じっくり出来る。
取材時に本を忘れ、翌朝に探しに戻ったが、もう無かった。残念。
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二上青少年の家
| 案内 |
受付を通し、中庭に入る。
後で分かったが、本館の左から直接入れた。
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二上・万葉小学校
| 歌碑 | 巻17-3987
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| 場所 | 高岡市二上町
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| 建立 | 昭和59年5月27日 高岡市立万葉小学校PTA
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| 書者 | 社浦荻水(書家:宗三郎)
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能町小学校
| 歌碑 | 巻19-4150
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| 場所 | 高岡市能町南二町目 能町小学校 前庭
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| 建立 | 昭和52年11月 能町小学校PTA
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| 書者 | 中田 睦子(教諭:書家)
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| 材質 | 仙台石(粘板石 1,610×700)
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| 案内 |
学校の正門が分かず、ぐるっと回った。正門から入り左側に有る。
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| 感想 |
碑文は他とは違い、読み易すかった。
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野村小学校
| 歌碑 | 巻19-4249
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| 場所 | 高岡市野村 野村小学校 前庭
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| 建立 | 平成2年11月
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| 書者 | 佐藤孝志(当時の高岡市長:第61回卒業生)
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| 案内 |
正門から右へ校庭に向かう。直ぐ分かった。
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| 感想 |
今は市街地だが、昔は広大な石瀬野だったのか。
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高岡いわせの郵便局
| 歌碑 | 巻19-4249
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| 場所 | 高岡市野村第五 高岡いわせの郵便局
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| 建立 | 平成4年8月
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| 書者 | 綿貫 民輔(衆議院議長)
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| 案内 |
国道8号、下田交差点から野村へ向かう。
二つ信号(二ブロック)を越え、交差点の左側。直ぐ分かる。
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| 感想 |
交通量が激しく、やっと撮影できた。
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向陵高校
| 歌碑 | 巻19-4249
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| 場所 | 高岡市下石瀬 向陵高校 中庭
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| 建立 | 昭和56年9月 創立20周年(教職員一同)
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| 書者 | 野守勇蔵(号:翠峰、教諭)
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| 材質 | 仙台石(粘板石 1,500×2,330)
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| 案内 |
撮影許可を取ろうとしたが、休校日であり要領を得なかった。
結局、無断侵入してしまった。(ゴメンなさい。)
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| 感想 |
歌碑の右隣に、数少ない家持の像碑がある。
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新保氏宅の歌碑
| 場所 | 高岡市鐘紡町 2-4 新保秀夫
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| 歌碑 | 1(表) | 巻6-994 | 昭和63年 4月建立
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| 1(裏) | 巻19-4290 |
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| 2 | 巻14-3400 | 東歌(作者不詳)
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| 3 | 巻19-4142 | 昭和56年12月建立、仙台石(粘板石 1,500×750)
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| 4 | 巻19-4146 | 昭和59年 5月建立
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| 感想 |
お仕事中なのに手を休め、お相手をして頂き恐縮であった。
歌碑の話になり、私は矢崎の日宮神社を紹介したところ、
氏から中田・新湊に知られざる所が有る、との事であった。
日本書芸院会員(号:清斎)であり、
私には畏れ多く、とても解説どころでは無い。文献を参照して下さい。
機会を改め、出直したい方でした。
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JR高岡駅前の像碑
| 像碑 | 巻19-4143
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| 場所 | JR高岡駅前広場
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| 建立 | 昭和59年9月 第1回高岡万葉まつり(高岡市)
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| 制作 | 米治一(彫刻家:高岡市)
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| 書者 | 社浦荻水(書家:宗三郎)
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| 材質 | 台座は御影石に銅版(500×750)を嵌入、ブロンズ製群像(高さ2,500)
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| 感想 |
「高岡射水モデル定住圏計画」における「万葉のふるさとづくり事業」の一環として、
「第1回万葉まつり」を機会に設置されたと言う。
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荊波(うばら)神社
| 案内 |
住宅地図には出ていないが、
能越自動車道の取付として六家から卸市場口への立派な道路が有る。
途中、北陸線の陸橋「和田交差点」から左手に見える。
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| 感想 |
荊波は「うばら」と「やぶなみ」の両方の読み方があるが、地元の呼称が本当だろう。
例えば氷見の「柳田」布尾山古墳は、地元では「やないだ」なのだが、
知ったかぶりの文化人は「やなぎだ」と発音する。
しかし権威ある先生・学者さんは、ちゃんと「やないだ」と発音してくれる。
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中田・あしつき公園
| 歌碑 | 巻17-4021
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| 場所 | 高岡市中田上麻生 あしつき公園
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| 建立 | 昭和15年11月 中田町文化保存会(紀元2600年記念)
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| 昭和49年8月移転 中田葦附保存会
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| 書者 | 佐々木信綱(国文学者・歌人)
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| 材質 | 仙台石(粘板石 1,800×950)
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| 案内 |
中田橋を渡り終えると、直ぐ左。
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| 感想 |
公園の管理者らしい方に伺って、隣の「中田いきものの里公園」を訪ねた。
そこで、小学生の女の子に「葦附」を教えて貰った。
ここでは、県指定の川魚「トミヨ」と共に保護されていた。
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平成14年6月、利賀村坂上の「そばの郷温泉」裏の利賀川流域200mで、
大量に自生しているのを須河隆夫さん(県生物学会理事)が発見した。
県内での「葦附」の自生は「大門町西広上」に次いで、三番目となった。
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東大寺開田 須加野社地址
| 場所 | 高岡市 国吉 473番地 付近
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| 建立 | 昭和49年6月 高岡市国吉土地改良区
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| 案内 |
建設中の能越自動車道と平行している主要地方道(小矢部・伏木港線)の、
岩坪(西)信号から手洗野信号との間を走行していると、
圃場越しに見える。
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| 感想 |
須加野の「加」の字が埋め変えてあった。書者のミスか石工のミスか。
旧版の
越中万葉歌碑めぐり
のコラム欄で紹介されたが、新版では削除されていた。
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| 関連 |
巻17-4015
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三日市橋・東詰
| 歌碑 | 巻16-3881(越中国歌)
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| 場所 | 福岡町三日市大野(三日市橋・東詰)
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| 建立 | 昭和44年10月 越中万葉顕揚会(北日本新聞社内)
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| 協力 | 福岡町
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| 案内 |
小矢部川に掛かる三日市橋の右岸・東詰に見付かった。
当時はポツンと建っていたらしいが、現在は「サンバリー福岡病院」や「福岡町ふるさと会館」が立ち並んでいる。
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| 感想 |
大野路は、高岡・砺波・氷見と諸説プンプン。が、私は氷見説を支持する。
ガサワラをくぐって、ちょくちょく高岡や砺波に逢引するには、上司にそれなりの理由・説明が要るからだ。
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射水圏の万葉の歌碑・史跡
大門中学校前庭の歌碑
新湊・放生津八幡宮
| 歌碑 | 巻17-4017
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| 場所 | 射水市(新湊)八幡町 2丁目2番27号
放生津八幡宮
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| 建立 | 昭和14年12月 新湊町史実研究会
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| 書者 | 佐々木信綱(国文学者・歌人)
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| 材質 | 太田石(砂岩 2,450×1,200)
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| 感想 |
新湊は「新」がつくが、実際には歴史の町である。
古新町に友人がいたが、「古いのか新しいのか」とからかった事があった。
何年も通勤しているが、場所はややこしくて分かり難い。
内川と海のあいだ(間)位しか言えない。
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大門中学校
| 歌碑 | 巻18-4079
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| 場所 | 大門町 大門中学校 前庭
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| 建立 | 昭和52年11月 大門ライオンズクラブ
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| 書者 | 中川 敬(書家・同校教諭)
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| 材質 | 白御影石(1,300×1,500)
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| 案内 |
何処が正門なのか分かり難いので、ぐるっと回った。
正門さえ分かれば、前庭まで一直線。
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| 感想 |
どの辺りが三島野なのか。
小矢部川・庄川・和田川などが合流する射水平野は、広大であったろう。
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大門・藤巻神明宮
| 歌碑 | 巻18-4079
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| 場所 | 大門町藤巻牛塚 568 藤巻神明宮
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| 建立 | 昭和10年8月 牛塚虎太郎(元東京市長:東京府知事、大門町出身)
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| 書者 | 入江為守(宮内庁御歌所長)
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| 材質 | 高岡城跡石(戸室石 1,000×600)、台座は太田石(砂岩)
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| 案内 |
地元の人には分かっていても、場所の説明が分かり難く、歯切れが無かった。
ランドマークも無いので、もう直感しか無い。
「高岡万葉歴史館」の文献から「水戸田」を宛に訪ねたが、結果的には「富山県神社誌」に従った。
また、社名も「藤牧→藤巻」となっていた。
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| 感想 |
神社はセンスの良い「流れ造り」。
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小矢部圏の万葉の歌碑・史跡
臼谷八幡宮の歌碑
小矢部市・臼谷八幡宮
| 案内 |
旧8号線「後谷」から「末友」を経て「鳥越・砂子谷」に向かう。
「臼谷」に入り「〜の里」の看板を右折すると、八幡宮に直面する。
鳥居をくぐり、拝殿に向かった立派な石段を登りきると、左側に見つかる。
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| 感想 |
家内の親戚が近くに有りながら、気付かなかった。
それにしても、立派な神社だ。支えている氏子を尊敬してしまう。
ところが平成17年4月24日未明、何者かの放火により本殿と拝殿を焼失してしまったという。
残念なことである。
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小矢部市・横谷
| 案内 |
古い資料を元に、子撫川沿いの横谷・宮中、新日軽小矢部第二工場当たりを探したが見当たらない。
やむなく山道を徘徊していると、偶然にも小矢部バイパス(現・国道8号)に出てしまった。
諦めて帰ろうとした矢先、偶然にも草むらの中で発見した。
何〜んだ、こんな所に。
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小矢部市・石坂
| 歌碑 |
巻18-4085
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| 場所 | 小矢部市石坂
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| 建立 | 旧石碑…明治42年 砺波山名所保存会
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| 新石碑…平成12年1日
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| 書者 | 旧石碑…林 義幹
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| 新石碑…田中知一
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| 案内 |
石動から例の後谷(Uの字カーブ)から42号を経て、埴生から274号の石坂・末友に向かう。
そして「くりから古戦場」入口に向かうが、この方向では見え難く通り過ぎてしまった。
そこで、ゆっくりUターンをすると探し当てることが出来る。
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| 感想 |
左のボロいのが旧碑で、右の真新しいのがコピーであろう。
内容は殆んど同じだったから。側面の
「この関を設けしは和同五年にして越の三関の一なり」
と碑文も同様である。
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小矢部市・蓮沼
| 歌碑 |
巻18-4085
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| 場所 | 小矢部市蓮沼 源平ライン沿い・万葉公園近く
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| 建立 | 昭和53年6月 砺波の関保存顕彰会
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| 書者 | 谷敷 寛(元・通産省局長)
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| 案内 |
前項の石坂から「くりから古戦場」の案内看板を頼りに山道に向かう。
だんだん不安になるが、やがてイロハ坂となる。
注意深く進むと、木戸らしい案内看板が見つかり徒歩で数メートル登ると
見晴らしいの良い小公園となる。
ここを見逃しても、山道沿いに石碑「万葉公園」が分かるだろう。
そのチョット手前なのだ。
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小矢部市蓮沼・萬葉公園
| 歌碑 | 無数に有るらしい。
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| 場所 | 小矢部市蓮沼 源平ライン沿い
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| 設立 | 昭和60年11月23日 小矢部市
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| 案内 |
前項の隣である。案内板があるので、すぐ分かる。
細い階段道を登ると、無数の歌碑が有るらしいのだが、今回は飛ばした。
いずれ日を改めて来よう。なにしろ此処だけでまる一日が取られそうだから。
(取材には、かなりの準備が必要とみた。)
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小矢部市埴生奥山・砺波(となみ)山
| 案内 |
源平ラインを登って行くと、案内板が有り、すぐに分かる。
歌碑が三体あるが、いずれも表裏に読み下し文と万葉仮名文の両方が刻まれていた。
これより先の倶梨伽羅公園にも、両氏による歌碑が三体ある。
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砺波圏の万葉の歌碑・史跡
栴谷神社の歌碑
南砺市(砺波)池原・荊波(やぶなみ)神社
| 歌碑 |
巻18-4138
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| 場所 | 南砺市(砺波)池原・
荊波神社(通称:うばら神社)境内
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| 建立 | 昭和41年10月 北山米次郎(荊波のうた顕彰会長)
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| 書者 | 徳大寺米子
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| 案内 |
砺波市街地から359号線にて太田橋〜安川を経て富山方面に向かう。
右手に八幡社や県の除雪機械格納庫が見つかったら、そこを左折する。
すぐ神社の石標が分かるが、そのまま直進すると神社の鳥居が見える。
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南砺市(砺波)井栗谷・寺尾温泉
| 歌碑 |
巻17-3952
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| 場所 | 南砺市(砺波)井栗谷・寺尾温泉内玄関ロビー左側
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| 建立 | 昭和33年 野嶽(のだけ)虎蔵(先代湯主)
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| 書者 | 永森文秀(常弥寺住職)
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| 案内 |
砺波市街地から25号線にて雄神大橋〜三谷を経て「夢の平スキー場」に向かう。
途中の「せんだん山特産の店」の看板を頼りに進むと、分岐点として「寺尾温泉」の標識が出ている。
|
| 感想 |
何処に歌碑があるのかサッパリ分からない。
受付で尋ねようと思い館内に入ったところ、直感で歌碑が見つかった。
不審人物と思われそうな雰囲気だったので、支配人らしき人に無礼を詫びた。
話によると、この歌碑は浴場内に有ったものを、この場所に移設したらしい。
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南砺市(砺波)井栗谷・栴谷神社
| 歌碑 |
巻17-3952
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| 場所 | 南砺市(砺波)井栗谷・
栴谷神社境内
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| 建立 | 平成元年10月 栴檀山小学校縁故者
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| 書者 | 安念 弘(元・清瀬市立清瀬第二中学校長)
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| 案内 |
寺尾温泉分岐点から井栗谷トンネルを越えると、直ぐに見つかる。
境内には見事な綽如杉(しゃくにょすぎ・南砺市(砺波)指定天然記念物)が立っていた。
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富山圏の万葉の歌碑・史跡 
呉羽山・旧天文台登り口の歌碑
呉羽山・旧天文台登り口
| 歌碑 |
巻17-4001
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| 場所 | 富山市呉羽山・旧天文台登り口
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| 建立 | 昭和43年7月・越中万葉顕彰の会
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| 書者 | 青柳石城(書家)
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| 題額 | 吉田 実(当時の富山県知事)
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| 案内 |
茶屋町辺りから呉羽山に向かう。富山観光ホテル駐車場・豊栄稲荷神社を過ぎ、100メートル当たりで車を止める。
徒歩で旧天文台跡に進むと、沢山の歌碑郡が見える。
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峠茶屋交差点の三叉路
| 歌碑 |
巻17-4016
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| 場所 | 富山市茶屋・峠茶屋交差点の三叉路内
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| 建立 | 昭和29年
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| 書者 | 不詳
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| 題額 | 高辻武邦(当時の富山県知事)
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| 案内 |
国道44号線(旧8号線)、峠茶屋交差点の三叉路内に有る。しかし、ここは交通の要所、とても駐停車できない。
近くの病院の駐車場を無断で借用し、徒歩で混雑した三叉路内に向かう。歌碑の字はとても読めないので、案内板が頼りなのだった。
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婦中町・鵜坂神社の境内
| 案内 | 国道62号有沢橋と国道359号婦中大橋の中間にあり、
56号または川沿いの7号から行ける。どでかい看板なので直ぐに分かるだろう。
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婦中町鵜坂(うさか)・神通川の堤防沿い
| 歌碑 |
巻17-4022
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| 場所 | 婦中町鵜坂
鵜坂神社後方(東側)の堤防沿い
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| 建立 | 昭和31年7月1日
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| 題額 | 高辻武邦(当時の富山県知事)
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| 書者 | 中川壽伯(書家)
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| 案内 |
鵜坂神社の垣沿い右側を進むと、神通川の堤防に行き当たる。
鵜坂神社の古い石標に並んで、歌碑の裏側が見えるので、
その堤防をよじ登って正面に至る。
そして、ガードレールの狭い隙間から鑑賞するのだが、
交通量が多いので、跳ねられないかと神経を使ってしまう。
当然、事故が予測されるので、正面で車を停める場合は出来ない。
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石川県の万葉の歌碑・史跡
旧志雄町・下石の歌碑
津幡町・倶梨伽羅(くりから)公園
| 案内 |
源平ラインを登り詰め、そのまま行くと倶梨伽羅不動寺・手向神社の参道まで行き着いてしまった。
その上、ドシャ降りに見舞われてしまう。
これでは写真が撮れない。仕方なく(?)倶梨伽羅不動寺を見学しながら時間を潰した。
ようやく小降りになり、参道前の案内板「くりから探索マップ」で場所を確認した。
駐車場から細道を登ると、あった、あった。
ここには大伴池主の歌碑が三体あるが、「砺波山」と同じく、いずれも表裏に読み下し文と万葉仮名文の両方が刻まれていた。
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| 感想 |
この辺りも臼ケ峰と同じように、素人目には県境がはっきりしない。
「小矢部市」の境界杭が有ったと思うと…。
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旧志雄町・下石(さがりし)
| 歌碑 | 巻18-4069
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| 場所 | 羽咋郡宝達志水町下石・バス停
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| 建立 | 平成16年8月16日 能越万葉会・山口克人
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| 案内 |
所司原から志雄町(29号)に向かう。
左手にダムが見え、更に下ると平地が開け在所が見えてくる。
すると、右手には鉄工所、左にはバス停小屋が見つかる。
そこに1基の歌碑が建っている。
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| 歌碑 | 巻20-4516・他(全5基)
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| 場所 | 羽咋郡宝達志水町下石・臼ヶ峰往来沿い
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| 建立 | 平成10年8月〜10月
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| 案内 |
さらに案内板を頼りに農道に進もうとしたが、そこは自動車進入禁止とあった。
やむなく徒歩で約100メートルほど登ると、歌碑が連立している。
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| 参考 |
ここは、日名田〜臼ヶ峰〜石仏に続く
歴史の道百選なのだった。
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旧志雄町・石仏(いしぼとけ)
| 歌碑 | 巻18-4113・他無数
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| 場所 | 羽咋郡宝達志水町石仏・臼ヶ峰往来沿い
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| 建立 | 平成16年8月中旬 臼ヶ峰往来振興会・能越万葉会
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| 案内 |
谷屋・触坂(64号)から岩瀬(76号)に向い、高岡・羽咋線(29号)で志雄町に向かう。
所司原(しょしはら)近くで右折し、在所を越えると左手にビニール・ハウスが見える。
そこを左折し山道に入り、しばらく進むと道が開けてくる。
そこから峠に至るまでに、山道の右側には無数の歌碑が立ち並ぶ。
歌碑群を過ぎ、更に山道を進むと向瀬に至り、
そこを左折すると散田交差点に出会う。
更に左折し下石〜所司原〜岩瀬と、ようやく氷見に戻れた。
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| 感想 |
やたら書体が流暢なので、浅学の私にはさっぱり分からない。
やっとこさで解読したものの、全く自信が無い。
それよりも一体全体、何基あるのだろうか。あっと言う間に時間がすぎてしまう。
(時節が時節だけに、雑草の中をくぐらないと歌碑には近づけなかった。)
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| 参考 |
ここは、日名田〜臼ヶ峰〜下石に続く
歴史の道百選なのだった。
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掲載順が乱雑に見えるが、実際の連立順(峠〜所司原)となっている。
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千里浜レストハウス北側広場
| 歌碑 | 巻17-4025
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| 場所 | 羽咋市千里浜町・千里浜レストハウス北側広場
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| 建立 | 昭和37年11月
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| 案内 |
観光地なので、道路標識に従えば良い。
現地に近くなると千里浜レストハウスが見えるが、手前の細い道を右折すると広場が開けてくる。
舗装はされていないが、夏場のシーズンともなればここも車で一杯になることだろう。
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| 感想 |
本格的な万葉仮名なので、とても読めたものでは無い。
「しおじから…」と予備知識があれば読めなくも無いが。
歌碑からぬヘンテコなデザインなので、設立当初はモダンに映ったに違いない。
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千里浜なぎさドライブウェイ沿い
| 歌碑 | 巻17-4025
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| 場所 | 宝達志水町出浜・千里浜なぎさドライブウェイ沿い
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| 建立 | 平成元年5月吉日、羽咋ロータリークラブ・塩尻ロータリークラブ
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| 書者 | 志雄町長 松井吉二
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| 案内 |
千里浜レストハウス近くのドライブウェイ終点看板付近を下り、海辺を南に向かって走る。
数キロ経つと、左手の丘越しに歌碑が見えるので、登り口を探した。
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| 感想 |
千里浜と言えば、昔は潮干狩りだったと思うが、今は観光バスが波打ち際までギリギリ走ってサービスしている。
砂浜道も昔よりずっと広く感じられ、陸風のせいか波は静かだった。
「志乎路から」は、ここでは「之乎路から」となっており、それぞれのこだわりがあるのだろう。
千里浜レストハウス北側の歌碑付近は淋しかったが、ここはドライブ途中の観光客で賑わっており、記念写真で盛り上がっていた、
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関連ページ