万葉の歌碑・史跡

氷見における万葉の歌碑・史跡を全て集めました。ついでに…、


はじめに

■氷見における万葉の歌碑・史跡を全て集めました。 また、私の通勤途上や近郊の歌碑・史跡も加えています。 これらは、私の独断・偏見で選んでいますが。 なお、 文献も参考 にしていますが、このページを当てにしないで下さい。

史跡

歌碑 をクリックすると、写真または解説が見られます。 実物の碑文と解説文では、全体の構成上、異なる場合が有ります。また、 地図 をクリックすると、地図が見られます。中央の+印が現地です。 Map Fan Web 地図リンクサービスを利用しました。


榊葉乎布(おふの)神社・参道

歌碑巻18-4093 歌碑 地図
場所阿尾 502番地 榊葉乎布神社(阿尾城址の参道)
建立昭和58(1983)年1月 氷見市
書者茶谷一男(当時の氷見市長)
材質甲州鞍馬石(2,700)
参考 氷見市制施行(昭和27年8月1日)30周年記念として建碑された。
関連 氷見の指定文化財万葉ゆかりの神社

日名田

歌碑巻18-4113 歌碑 裏面 地図
場所日名田 254番地附近
建立平成17年7月「庭中花作家」石碑建立実行委員会
書者中西 進(京都市立芸術大学学長)
感想 最近、臼ヶ峰往来保存委員会・臼ヶ峰往来振興会らが中心となり建てられたと言う。 バス停・下日名田(一般地方道氷見・志雄線)またはJA速川支所(主要地方道高岡・氷見線)から入って突き当たり。 鄙びた国へ単身赴任のやるせなさが伝わってくる。

案内歴史の道百選・他 案内 地蔵 廃道
感想 歌碑の附近に案内板・首無し地蔵が有った。 案内板をジックり眺めていると、臼ヶ峰に至るには、廃道・新道→現在の床鍋越えとルートが変わって来ている。 正に歴史の道が実感できる。

臼ヶ峰

歌碑巻17-4025 歌碑 副碑 地図
場所床鍋 臼ヶ峰(親鸞聖人銅像の石段前)
建立昭和40(1965)年6月 若葉吟社(地元の俳句結社)
書者松村謙三(元、文部大臣)
材質小矢部石(安山岩 1,330×980)
感想 当地は志雄路と呼ばれ、交通・軍事上の要点で有った。 家持が能登への往路として、通行したと考えられる。
関連 氷見の指定文化財氷見の巨樹・名木

石碑歴史の道百選 石碑
場所床鍋 臼ヶ峰(太子堂の近く)
建立2000年早春
感想 何時の間にか建っていた。 往古は粟原越えだったが、江戸時代頃になると現在の国道415号に近づいたのか。
参考 八幡神社の副碑によると、 巻19-4251のコースは、 こっちを通ったのだろうか。

八幡神社(加納・かんの)

歌碑巻19-4251 歌碑 副碑 地図 地図
場所加納 1456番地 八幡神社
建立昭和43(1968)年夏 沢武 修一(地区有志)
書者吉川正文(当社の宮司)
材質黒御影石嵌入(600×900)、台石は伊予石(1,300×2,000)
参考 社の周辺を安努郷と想定し、建碑された。歌碑の左に副碑が有る。

上庄川左岸排水機場

歌碑巻18-4124 歌碑 地図
場所諏訪野 3番地 上庄川左岸排水機場(流慶橋の左岸近く)
建立昭和61(1986)年1月 氷見市
書者茶谷一男(当時の氷見市長)
材質甲州鞍馬石(1,700)
参考 県営湛水防除事業の完工を記念として建碑された。

有磯(ありそ)高等学校

歌碑 巻19-4218巻19-4226巻20-4516(番外) 歌碑1 歌碑2 歌碑3 地図
場所鞍川 1056番地 富山県立有磯高等学校
建立巻19-4218・昭和62(1987)年
巻19-4226・昭和61(1986)年
巻20-4516・平成元(1989)年
書者巻19-4218・茶谷松代(当時の書道担当教諭)
巻19-4226・堀江さと子(当時の書道担当教諭)
巻20-4516・佐野昌男(当時の学校長)
材質巻19-4218・三重石
巻19-4226・伊予石
巻20-4516・伊予石
参考何れも、当時の卒業記念碑として残している。

中の橋

歌碑 巻19-4199 歌碑 地図
場所本町16番19号 北陸銀行氷見支店(湊川「中の橋」添い)
建立平成2年6月(中の橋県単橋梁整備事業・架替工事完成記念)
書者大島文雄(富山大学名誉教授)
感想氷見の万葉歌碑は、同じ歌がダブらないのが自慢だったのに。 田子浦藤波神社に同じ歌が有るので、この定説がくつがえされた。

道の駅・海鮮館

歌碑 巻17-4011 歌碑 地図
場所中央町7-1 道の駅・「海鮮館」
建立平成14年10月(氷見市制施行50周年記念)
書者堂故茂(氷見市長)
材質黒御影石
石工山産交易株式会社
感想 氷見市制50周年記念事業の一環として建立された。 近くに住んでいながら気付かなかった。

十二町潟排水機場

歌碑巻17-3992 歌碑 地図
場所窪 938番地 農林水産省・十二町潟排水機場
建立昭和59(1984)年(氷見市・十二町潟排水機場竣工記念)
書者茶谷一男(当時の氷見市長)
材質黒御影石(2,000)
参考 国営総合灌漑排水事業の一環として、この施設が完成した記念に建碑された。 傍らに副碑(アフリカ産黒御影石)が建っている。
感想 工事中、多数の縄文式土器・貝化石が出土したという。
関連 湖光神社

十二町潟水郷公園

史跡萬葉布勢水海之跡 史跡 副碑 地図
歌碑 巻17-3991巻17-3992(いずれも副碑)
場所十二町 177-1番地 水郷公園管理事務所(万葉植物園の奥)
建立平成7年12月
感想これも、最近まで気が付かなかった。

日宮神社

歌碑巻17-3992 史跡 神社 地図
場所十二町 字高塚 1984番地 日宮神社
建立平成11年12月
奉納喜寿記念 宮下又一郎
書者吉川 正紀
案内 水郷公園入口の反対側に、道路をまたいだ日吉神社の鳥居が見える。 そこから北へ進むと堤で行き止まりとなるが、 その約200m手前に神社の参道を示す灯篭が見付かる。 そこを左折し、更に約200m程進むと、神社に行きつく。 途中、Uターンできないので、失礼して境内に入る事にする。
感想 どのガイドブックにも載っていないが、境内の東側に個人が奉納した立派な歌碑が有る。
関連 万葉ゆかりの神社

稲荷社

歌碑巻18-4043 歌碑 地図
場所十二町矢崎 字竹ヶ尻 3314番地 稲荷社
建立平成10年春 山ア 茂一(個人所有)
協力坂下 豊・崎山 修・宮崎 幸一・柿原 諭・宮崎 幸夫
書者吉川 正紀(当社の宮司)
感想 「あすの日の」が「ほととぎす」となっており、以下は「巻18-4043」の通りとなっている。 これは(一に頭に云はく、「ほととぎす」)という珍しい例(異伝歌)であろう。
吉川正紀氏は先の宮司、吉川正文氏の子息(長男ではない。)という。
関連 万葉ゆかりの神社氷見の指定文化財氷見の巨樹・名木

湖光神社

歌碑巻19-4187(抜粋) 歌碑 地図
場所湖光 9番地(旧称、古江新村) 湖光神社
建立昭和50年5月(湖光土地改良区)
平成2年(平成御大典記念・耕作氏子一同)
協力積良 徹(相談役)・広沢 昭二(当時の理事長)
感想 土地改良に対して個人的には複雑な気持が残るが、それを救ってくれたのがこの歌碑であろう。
関連 万葉ゆかりの神社十二町潟排水機場

松田江の長浜

石碑万葉故地 松田江の長浜 石碑 地図
巻17-3991巻17-4011
場所柳田 3583番地 氷見市海浜植物園(氷見側道路添い)
案内 植物園の受付嬢に聞いたが要領を得ず、園長さんに教えて貰った。 この辺りは、日本の 遊歩百選に選ばれている。

木碑万葉遺跡 松田江の長浜 木碑 地図
巻17-4001巻17-4011
場所松田江町 3283番地 附近
感想昔から有った筈なのに、気が付かなかった。
こんな木碑でも一応、歌碑に加えておこう。

布施の円山(まるやま)

歌碑 巻18-4042(小祠横)・ 巻18-4043 歌碑 地図
場所布施 1826番地 布勢神社・御影社(布施の円山)
建立昭和60(1985)年9月21日 布施地区有志
書者茶谷一男(当時の氷見市長)
材質氷見市碁石産・黒御影石
参考 大伴家持卿1,200年祭に当たり、 老朽化した御影社(間口90センチ、奥行80センチ)の改築記念として建碑された。
関連 万葉ゆかりの神社氷見の指定文化財

史跡大伴家持卿遊覧之地 史跡2
建立享和2(1802)年5月18日 服部叔信(高岡町年寄 文人)
撰文山本有香・内藤元鑑(金沢の医師)
題字藤原定逸(花山院藤公)
建立天野屋三郎左衛門(服部叔信)
材質砂岩(泉砂岩 1,500×250)
参考 山本有香は高岡の旧家に生まれた。 京都に出て、山本忠良と称し、油小路に住んで医を業とした。 なお、同碑は万葉の碑としては越中では最古。

史跡大伴家持卿之碑 史跡1
建立明治33(1900)年8月 布施地区有志
撰文重野安釋(歴史学者)・金井之恭(書家)
題字小松宮彰仁親王
材質銅碑(筆の穂先状1,500)と石の二段積台座(全長5,000)
参考 地元の万葉学者、高沢瑞信(神職)が主唱。 氷見地方の豪農の協力によって建碑。 同年11月、県知事を祭主に御影社前において、 大伴家持卿千百年祭を挙行した。 昭和18年に銅碑部分を供出したが、 36年、布施出身で富山市在住の寺田清枝氏の篤志で、再建された。

ヴィラージュ泉の杜

歌碑巻18-4051 上泉 地図
場所上泉 ヴィラージュ泉の杜公園
建立平成12年11月(上泉自治会・光陽興産)
書者山ア平樹(元上庄小学校長・郷土史家:上泉 236)
材質花崗岩(長野産 2,500×1,200 約7トン)
案内 国道415号添いに、現地への案内看板「ヴィラージュ泉の杜」がある。 約100〜200メートル進み坂を登りきると、住宅街の小公園が見つかる。
北日本新聞で紹介(平成13年7月12日)された。

バス停 「国泰寺」 前

歌碑巻18-4051 上田子 地図
場所上田子 54番地 林 正憲さんの前(バス停 「国泰寺前」近く)
建立昭和4年4月 上田子地区有志
書者関 成若(先代の宮司)
材質御影石(3,000×330)
参考 上田子の八幡社が、昭和2年4月に 多胡神社と改称した時、 神職の関氏(不詳、 高岡関野神社か?)の勧めにより 「多胡の崎」と呼ばれる当地に建碑された。

田子浦(たごのうら)藤波神社

歌碑巻19-4199 歌碑 地図
場所下田子字勘定 1429番地 田子浦藤波神社
建立明治35(1902)年11月、子孫の南 長平ら村民有志
書者本居豊穎(もとおりとよかい:本居宣長の曾孫・東宮侍講)
材質白御影石(1,830×360)
参考 建立者の南家は、家持と共に越中へ下った橘 正長(橘 諸兄の五男)の 末裔(南 信光)と伝えられ、後に放生津へ移住したと云う。 社殿は昭和55年に再建されたが、同時に歌碑の台座を改築した。 同碑の正面に、巖谷 修(貴族院議員)の筆になる 「大伴家持御歌碑」の文字が刻まれている。
関連 万葉ゆかりの神社氷見の指定文化財

太田小学校

歌碑巻19-4206 歌碑 副碑 地図
場所高岡市太田 4,619番地 太田小学校(島尾寄り)
建立昭和57年10月5日 太田小学校(校舎新築落成)
書者村田豊二(元氷見市教育長・元太田小学校校長)
材質能登石(花崗斑岩 1,460×2,870)
感想 この当たりの行政区域は高岡市だが、もとは氷見郡であり、 西條中学校に通っていた同級生がいた。 卒業生に聞いたら、「有ったかな〜?」とつれない返事だった。

雨晴観光駐車場

歌碑巻19-4159 歌碑 地図
場所高岡市太田渋谷 雨晴観光駐車場(バス停岩崎近く)
建立昭和63年
感想 見逃してしまうほどの、小さな歌碑と都万麻が有った。 ここに、高岡市内の万葉歌碑の一覧表が掲示してあり、沢山紹介されていた。 その内、行って見ようと思う。伏木なら、沢山ある筈だ。

太田・つまま公園

歌碑巻19-4159 歌碑 副碑 地図
場所高岡市太田岩崎 つまま公園(新渋谷橋近く)
建立安政5年(1858)肝煎宗九郎
大正7年(1918)松井巌夫(高岡高等女学校教諭)、御旅屋太作が再建
材質太田石(砂岩 1,340×370)
感想 JR雨晴駅の観光案内所で聞いたが、知らないと言う。 この時、万葉の古里はやっぱり氷見だなあ、と実感した。 で、通りすがりの檀家参りのお坊さんに聞いたら、親切に教えて下さった。 やっぱり神官・僧侶は、さすがと思う。

太田・道ヶ谷

歌碑巻16-3882 歌碑 地図
場所高岡市太田字道ヶ谷(古池ヶ谷)
建立昭和46年11月 古市忠雄(太田の湯主)
書者堀健治(高岡市長)
材質太田石(砂岩 2,550×1,330)
感想 バス停岩崎から、太田の湯への途中路に有り、すぐ分かる。 太田の湯主、古市忠雄氏が私費で建立したと言う。 当地の歌碑で、旋頭歌(577,577)は珍しい。

国分・喜笛庵

歌碑巻18-4094 標識 歌碑 地図
場所高岡市伏木国分 72-3 南雄邦さんの近く
建立昭和38年8月
感想 ご存知「海ゆかば」。 現地付近は道路工事中で分かり難くかった。「家持山石雲寺喜笛道場」の標識が有り、狭くて急激な山道を5分ほど登る。 地元の人は元々は寺が有ったが、焼失したと言う。 紀元2600年を記念し、住職の南喜笛氏が地元の協力を得て、建立した。

万葉歴史館

歌碑巻17-3985 歌碑 地図
場所高岡市伏木一宮 1-11-11 高岡市万葉歴史館 前庭
建立平成2年10月
感想 近年に建立されたが、長歌全文の碑は珍しい。 私は会員ではないが、何度かこの歴史館を訪れている。

歌碑巻17-4000 歌碑 副碑
場所屋上自然公園
建立平成6年10月(高岡市)
揮毫犬養孝
大阪大学名誉教授・甲南女子大学名誉教授
万葉歴史館名誉館長・文化功労者・文学博士
感想 ご存知「立山の賦」。仮名と読下しが併設されている。「富山県民の歌」や「氷見市民憲章」のルーツだろう。 ちなみに「立山の 空にそびゆる 雄々しさに 習えとぞ思う 御代の姿も」とは、 かつての昭和天皇が富山県に賜わった御歌。

歌碑巻19-4151 歌碑
場所屋上自然公園
建立平成14年6月(高岡西ロータリークラブ)
創立25周年記念・桜植樹、創立35周年記念・建立
感想 何度と無く歴史館を訪れているが、最近まで歌碑には気が付か無かった。 それにしても、この公園は整備が行き届いている。


伏木・気多神社

歌碑巻17-3954 石碑 歌碑 地図
場所高岡市伏木東一宮大平 2,068番地 気多神社・大伴神社
建立昭和38年9月
富山ペンクラブ(翁久允)・伏木文化会(堀詮之助)・富山郷土史会(嶋尾正一)
書者大島文雄(富山大学教授)
材質仙台石(粘板石 1,880×760)
感想 立派な神社である。 石碑に故事来歴が書いて有るが、読まなかった。(読めなかった。) 歌碑の方は、有名な歌なので分かった。

伏木小学校

歌碑巻19-4143巻19-4139(副碑) 歌碑 副碑 地図
場所高岡市伏木東一宮 伏木小学校(前庭)
建立昭和42年3月 第9回卒業生、平成元年1月(副碑)
書者米田小三(号:瑞穂 同校教頭)
材質仙台石(粘板石 1,950×710)
感想 正門から入ると右側に体育館が有る。その横を通るとグラウンドが見え、奥の右に小公園が見付かった。
観光地では無いので、学校施設として正式に訪問すべきであろう。

伏木・光暁寺

歌碑巻19-4139 歌碑 地図
場所高岡市伏木東一宮 万葉山光暁寺(前庭)
建立昭和56年9月 井出宝泉(第1回高岡万葉まつり)
材質太田石(砂岩 1,430×1,800)
感想 伏木小学校と伏木神社社務所の間に、鉄筋コンクリートの寺が見付かる。
その前庭・駐車場に、この歌碑が有った。

伏木測候所

史跡越中国守館址・巻19-4150 史跡 裏面 地図
場所高岡市伏木古国府 474番地 伏木測候所(前庭)
建立昭和57年10月 高岡市教育委員会・伏木古典の会(武部弥十武)
書者鶴木大寿(富山大学教授)
材質仙台石(粘板石 2,420×1,080)
感想 現在は無人測候所なのか、ゲートが掛かっている。
右側に隙間が有り、そこから忍び込んだ。 ここは当時、家持が住んでいた官舎の跡地らしい。 史跡の裏に歌が刻んである。

伏木・勝興寺

歌碑巻18-4094 歌碑 地図
場所高岡市伏木古国府 770番地 勝興寺
建立昭和12年8月 飛見丈繁(日支事変の北京攻略として)
書者禅野天涯
材質仙台石(粘板石 1,950×940)
感想 ここは、ご存知の「ふるこはん」です。総門の近くに建立。 現在は改修工事中なので、工事現場の所長さんの許可が無いと、史跡は見学出来ない。 しかし、運良く気の良さそうな庭師に出会い、境内を案内して貰う事が出来た。(感謝)

史跡越中国廰址・巻18-4136 史跡 地図
場所本堂左側
建立昭和51年8月 伏木文化会(京谷準一)
書者上原欣堂(富山大学名誉教授)
材質伊予石(結晶片石 2,680×2,400)
感想 本堂左奥に建立。 庭師さんには「史跡より、裏側の歌はどうですか。」とか 「この池は、龍の彫物のお陰で、枯れる事は有りません。」等とか、色々教えて貰った。 また、「この後、正法寺に向かうのですが。」と告げたら、「歌碑が多いので、時間がかかりますよ。」と教えてくれ、それならばと工事中の現場を案内して貰った。 全天候型の仮説足場に加え、私の想像を絶する費用と工期がかかると言う。

史跡寺井の跡・巻19-4143 史跡 歌碑 地図
場所境内(右奥)
建立昭和62年10月
感想 ここは境内であるが、一旦外に出なければならない。 お参りを済ませ、右側の道路に添って寺井の跡に向かった。

伏木・古府小学校

歌碑巻17-3987 歌碑 地図
場所高岡市伏木古府元町
建立平成3年10月
書者五嶋道男(校長)
案内 校門左脇、すぐ分かる。グラウンドの桜が綺麗だった。

伏木正法寺・万葉植物園

歌碑巻17-3987、他30箇所以上? 門碑 歌碑 寺院 地図
場所高岡市伏木一宮若草(矢田) 正法寺境内
建立昭和31年 道前泰貫(同住職:万葉植物園開設記念)
書者佐々木信綱(国文学者・歌人)
材質立山石(安山岩 1,260×1,350)
案内 本堂に向かい石段を登ると、右手に万葉植物園の石碑が見える。 更に右側の細い道を進むと、地上に無数の歌碑(?)が置いて有る。 ここは、八十八体石仏の霊場として有名。 獣道なので都会っ子は迷子になるかも知れない。

二上山・郷土資料館

歌碑巻17-3987 歌碑 地図
場所高岡市城光寺大谷
建立昭和44年7月 山本源太郎、他(建設発起人)
書者吉田実(前富山県知事)
材質筑波石に黒御影石の嵌入(930×2,090)
案内 二上山万葉ラインの途中、郷土資料館の正面右側に有る。

二上山の像碑

像碑巻17-3987 像碑 かたかご 地図
場所高岡市二上山奥御前下
建立昭和28年:高岡駅前広場(高岡市文化連盟)
移転昭和37年:二上山中腹の経塚
昭和43年:二上山万葉植物園
昭和56年9月:現在地(第1回高岡万葉まつり)
制作米治一(彫刻家・高岡市)
書者入江為守(宮内庁御歌所長)
材質ブロンズ(高さ2,000)、台座は御影石
案内 駐車場で止め、階段を登る。
感想 像碑の周りに、紫のかたかごの花(4月初旬)が植えて有った。 こんな南面の直射日光でも、育つとは。

二上山・万葉植物園

歌碑巻17-4006 門碑 歌碑 祠 地図
場所高岡市二上山・万葉植物園
建立不詳。昭和53年 修復(高岡市)
案内 奥御前下駐車場の右から50mほど下ると、植物園の専用駐車場が有る。 徒歩で順路1から2へ50mほど進むと、休憩場や悪王子社が有る。
感想 余程その気にならないと、風化していて字は読めない。 しかし、沢山の副碑(万葉集と植物の解説)が有り、じっくり出来る。 取材時に本を忘れ、翌朝に探しに戻ったが、もう無かった。残念。

二上青少年の家

歌碑 巻19-4192(正面)・ 巻19-4193(側面) 正面 側面 副碑 地図
場所高岡市二上鳥越・県立二上青少年の家
書者社浦荻水(書家:宗三郎)
副碑当時の高校書道展の優秀者(北側より順に。)
大伴家持 巻 4- 773松田由紀美
大伴家持 巻19-4159中谷教子
大來皇女 巻 2- 166小山季穂
大伴家持 巻19-4143黒田真紀子
大伴家持 巻19-4191経沢 透
大伴家持 平井純子
案内 受付を通し、中庭に入る。 後で分かったが、本館の左から直接入れた。

二上・万葉小学校

歌碑巻17-3987 歌碑 地図
場所高岡市二上町
建立昭和59年5月27日 高岡市立万葉小学校PTA
書者社浦荻水(書家:宗三郎)
案内 守山街道から入る。校門右脇に有る。

能町小学校

歌碑巻19-4150 歌碑 地図
場所高岡市能町南二町目 能町小学校 前庭
建立昭和52年11月 能町小学校PTA
書者中田 睦子(教諭:書家)
材質仙台石(粘板石 1,610×700)
案内 学校の正門が分かず、ぐるっと回った。正門から入り左側に有る。
感想 碑文は他とは違い、読み易すかった。

野村小学校

歌碑巻19-4249 歌碑 地図
場所高岡市野村 野村小学校 前庭
建立平成2年11月
書者佐藤孝志(高岡市長:第61回卒業生)
案内 正門から右へ校庭に向かう。直ぐ分かった。
感想 今は市街地だが、昔は広大な石瀬野だったのか。

高岡いわせの郵便局

歌碑巻19-4249 歌碑 地図
場所高岡市野村第五 高岡いわせの郵便局
建立平成4年8月
書者綿貫 民輔(衆議院議長)
案内 国道8号、下田交差点から野村へ向かう。 二つ信号(二ブロック)を越え、交差点の左側。直ぐ分かる。
感想 交通量が激しく、やっと撮影できた。

向陵高校

歌碑巻19-4249 歌碑 像碑 地図
場所高岡市下石瀬 向陵高校 中庭
建立昭和56年9月 創立20周年(教職員一同)
書者野守勇蔵(号:翠峰、教諭)
材質仙台石(粘板石 1,500×2,330)
案内 撮影許可を取ろうとしたが、休校日であり要領を得なかった。 結局、無断侵入してしまった。(ゴメンなさい。)
感想 歌碑の右隣に、数少ない家持の像碑がある。

新保氏宅の歌碑

場所高岡市鐘紡町 2-4 新保秀夫 歌碑1表 歌碑1裏 歌碑2 歌碑3 歌碑4 地図
歌碑1(表)巻6-994昭和63年 4月建立
1(裏)巻19-4290
2巻14-3400東歌(作者不詳)
3巻19-4142昭和56年12月建立、仙台石(粘板石 1,500×750)
4巻19-4146昭和59年 5月建立
感想 お仕事中なのに手を休め、お相手をして頂き恐縮であった。 歌碑の話になり、私は矢崎の日宮神社を紹介したところ、 氏から中田・新湊に知られざる所が有る、との事であった。 日本書芸院会員(号:清斎)であり、 私には畏れ多く、とても解説どころでは無い。文献を参照して下さい。 機会を改め、出直したい方でした。

JR高岡駅前の像碑

像碑巻19-4143 像碑 副碑 地図
場所JR高岡駅前広場
建立昭和59年9月 第1回高岡万葉まつり(高岡市)
制作米治一(彫刻家:高岡市)
書者社浦荻水(書家:宗三郎)
材質台座は御影石に銅版(500×750)を嵌入、ブロンズ製群像(高さ2,500)
感想 「高岡射水モデル定住圏計画」における「万葉のふるさとづくり事業」の一環として、 「第1回万葉まつり」を機会に設置されたと言う。

荊波(うばら)神社

歌碑巻18-4138 歌碑 神社 地図
場所高岡市和田 荊波神社
建立昭和63年10月
書者能坂利雄
案内 住宅地図には出ていないが、 能越自動車道の取付として六家から卸市場口への立派な道路が有る。 途中、北陸線の陸橋「和田交差点」から左手に見える。
感想 荊波は「やぶなみ」なのでは。

中田・あしつき公園

歌碑巻17-4021 歌碑 葦附 地図
場所高岡市中田上麻生 あしつき公園
建立昭和15年11月 中田町文化保存会(紀元2600年記念)
昭和49年8月移転 中田葦附保存会
書者佐々木信綱(国文学者・歌人)
材質仙台石(粘板石 1,800×950)
案内 中田橋を渡り終えると、直ぐ左。
感想 公園の管理者らしい方に伺って、隣の「中田いきものの里公園」を訪ねた。 そこで、小学生の女の子に「葦附」を教えて貰った。 ここでは、県指定の川魚「トミヨ」と共に保護されていた。
平成14年6月、利賀村坂上の「そばの郷温泉」裏の利賀川流域200mで、 大量に自生しているのを須河隆夫さん(県生物学会理事)が発見した。 県内での「葦附」の自生は「大門町西広上」に次いで、三番目となった。

東大寺開田 須加野社地址

場所高岡市 国吉 473番地 付近 石碑 地図
建立昭和49年6月 高岡市国吉土地改良区
案内 建設中の能越自動車道と平行している主要地方道(小矢部・伏木港線)の、 岩坪(西)信号から手洗野信号との間を走行していると、 圃場越しに見える。
感想 須加野の「加」の字が埋め変えてあった。書者のミスか石工のミスか。 旧版の 越中万葉歌碑めぐり のコラム欄で紹介されたが、新版では削除されていた。
関連 17-4015

新湊・放生津八幡宮

歌碑巻17-4017 歌碑 案内 指標 祖霊 地図
場所新湊市八幡町 2丁目2番27号 放生津八幡宮
建立昭和14年12月 新湊町史実研究会
書者佐々木信綱(国文学者・歌人)
材質太田石(砂岩 2,450×1,200)
感想 新湊は「新」がつくが、実際には歴史の町である。 古新町に友人がいたが、「古いのか新しいのか」とからかった事があった。 何年も通勤しているが、場所はややこしくて分かり難い。 内川と海のあいだ(間)位しか言えない。

大門中学校

歌碑巻18-4079 歌碑 地図
場所大門町 大門中学校 前庭
建立昭和52年11月 大門ライオンズクラブ
書者中川 敬(書家・同校教諭)
材質白御影石(1,300×1,500)
案内 何処が正門なのか分かり難いので、ぐるっと回った。 正門さえ分かれば、前庭まで一直線。
感想 どの辺りが三島野なのか。 小矢部川・庄川・和田川などが合流する射水平野は、広大であったろう。

大門・藤巻神明宮

歌碑巻18-4079 歌碑 神社 地図
場所大門町藤巻牛塚 568 藤巻神明宮
建立昭和10年8月 牛塚虎太郎(元東京市長:東京府知事、大門町出身)
書者入江為守(宮内庁御歌所長)
材質高岡城跡石(戸室石 1,000×600)、台座は太田石(砂岩)
案内 地元の人には分かっていても、場所の説明が分かり難く、歯切れが無かった。 ランドマークも無いので、もう直感しか無い。 「高岡万葉歴史館」の文献から「水戸田」を宛に訪ねたが、結果的には「富山県神社誌」に従った。 また、社名も「藤牧→藤巻」となっていた。
感想 神社はセンスの良い「流れ造り」。

三日市橋・東詰

歌碑巻16-3881(越中国歌) 歌碑 地図
場所福岡町三日市大野(三日市橋・東詰)
建立昭和44年10月 越中万葉顕揚会(北日本新聞社内)
協力福岡町
案内 小矢部川に掛かる三日市橋の右岸・東詰に見付かった。 当時はポツンと建っていたらしいが、現在は「サンバリー福岡病院」や「福岡町ふるさと会館」が立ち並んでいる。
感想 大野路は、高岡・砺波・氷見と諸説プンプン。が、私は氷見説を支持する。 ガサワラをくぐって、ちょくちょく高岡や砺波に逢引するには、上司にそれなりの理由・説明が要るからだ。

臼谷・臼谷八幡宮

歌碑巻18-4138 歌碑 神社 大杉 街道 地図
場所小矢部市臼谷 八幡宮
建立昭和58年5月
案内 旧8号線「後谷」から「末友」を経て「鳥越・砂子谷」に向かう。 「臼谷」に入り「〜の里」の看板を右折すると、八幡宮に直面する。 鳥居をくぐり、拝殿に向かった立派な石段を登りきると、左側に見つかる。
感想 家内の親戚が近くに有りながら、気付かなかった。 それにしても、立派な神社だ。支えている氏子を尊敬してしまう。
ところが平成17年4月24日未明、何者かの放火により本殿と拝殿を焼失してしまったという。 残念なことである。

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